2002年「ワールドカップ」が日本で開催された
サッカーでは想像もされなかった歴史的事実である
そして4年後、2006年ドイツ大会が終わり
ジャパンサッカーの新たな問題点が浮上して来た

そんなサッカー後進国日本でプロフェッショナル
「コーチ」にこだわる相川亮一の世界がある
FIFA名コーチD.クラマー氏の数少ない直弟子の一人
Jリーグ誕生前に日本リーグ「読売クラブ」(旧ヴェルディ)で
ジョージやカリオカらを率いて第一期黄金時代を築いた監督でもある
多くのJリーガーを発掘し、海外のネットワークにも通じているが
名も無い神奈川湘南ベイエリア栄光学園の卒業生でもある
現在は高校生年代の選手のコーチをしながら
サッカービジネスの可能性を探る

相川亮一
Ryoichi Aikawa

(※ 注書き)
相川コーチは、2011年1月20日に心不全のため自宅で逝去されました。
このサイトは、故人の追悼集となりました。
故人のご冥福をお祈りします。

 

プロサッカーコーチ 故 相川亮一コーチ(13期)の略歴は、こちらです。

相川亮一 ザ・サッカーコーチ(追悼集)
(クリックで本文pdfを表示)

【目次】
◇わかれの言葉
第一部 相川コーチに捧ぐ
 第1章 栄光学園関係者
 第2章 山手学院関係者
 第3章 神奈川県サッカー協会関係者
 第4章 読売クラブ関係者
 第5章 ユーズ世代関係者
第二部 相川亮一遺稿集
第三部 付録

※ 更に、「追悼集」には、下記のレポートなど多数の遺稿が含まれています。

クラーマー講演(解説レポート)
(※ 注)2002年6月20日、折しもワールドカップ開催に湧く時期、神奈川サッカー協会技術委員会が日本のさっかーの父、クラーマー氏を招聘し講演会を開催した。
講演会にあたりクラマー氏が主任コーチで開催したFIFAサッカースクール(テヘラン)で直弟子となった故人が解説担当をした時の記録です。

2002年 -「あと二つ」 & 「ワールドカップ分析レポート」
 あと二つというのは、これが一つ、もう一つは最終レポートのようなものを「考えているのだが」またそれを「独りでも、つくるぞ」という意欲はある。この 相川の思いにだれが応えてくれるか?そのことで2006年はちがうぞ,といってもだれも信じないかな?

2002年 – 徹底分析!「トルシエの敗北、ヒディンクの勝利」
 筆者:我満 硫(あがみつ りゅう) 雑誌プレジデント掲載日:2002年7月7日(日)

2004年~2007年 – コーチング日誌
 サッカーお好きな人、まったく興味なくて、すぐダンプしてしまう人、またどこへどう転送されてもけっこうです。 相川さんと、サッカー話したい人、連絡の 上(常駐していないので)厚木のサッカーパーク、カフェバーでお会いしましょう。

2004年~2007年 – 「栄光サッカークリニック」
 この記録は、後援会が技術指導を依頼する相川コーチが栄光学園サッカー部の練習や試合の際にグランドで指導した記録です。