2002年6月10日(月) ロシア戦


そして、ロシア戦である。

自分がテレビでゲームを見られたのは前半25分すぎから、というのは浅草のホテルで、カメルーン人とサッカーの話しをしていたので、前半のことはわからない。

歴史的な勝利にけちをつける必要はないが、このゲームを思うに次の4っつのことだけが私の興味を引いた。

■ 稲本の1点、オフサイド、しかし線審、旗をあげるそぶりも見せず→今ごろロシア中のテレビがこの場面を「オフサイド」だと指摘しながらリプレイしているだろう、だがそうやって最初のゲームの稲本の取り消された3点目もあれば、この幻のオフサイドも、ともに「サッカー」ならである。ましてや、判定を出すのは、出したのは、日本人ではない。

■ 0-1から、ロシア右クロス、戸田、あわせてはいってくる相手をホールドして引き倒す、これはどう考えても、PK、しかし主審は見もしなかった。これもサッカーである。

■ ロシアの「傲慢さ」、ペナエリアのなかでも「つないで」いたという、これはいったいなにか?自分の考えでは、前半から彼等は、日本を「なめていた」のであるそして、その傲慢さ、倣岸さ、私はそれこそがロシアだと思った。ただしそれはゲームののち。

■ それにたいして、日本は実質5バックをひいた、そしてトルシェにおそらく内緒にラインあげをあまりしないようにして、かつ、こちらの2トップは左右にひらいて、相手のサイドのスペースを、ついたが、それでも日本の攻撃は実りはしなかった(のは事実だ)
 
しかしそういうゲームにありがちで、ロシアの攻撃は「さえてはいないで(最後のほうは、)こいつらバカか、とおもえるほどに、パスにこだわった(同じようにパスにこだわったアルゼンチンであっても、最後は専門的にいえばスピードあげや変化をねらっていたし、ロシアがクロス、からの攻撃を(ブラジルのように意識したら、こうはいかなかったろう。つまりロシア人、そこまでパスに、こだわったら、バカだぜ、勝つことにこだわれよと不愉快になった)もしカルピンが自分のチームなら使わないだろうに(すばらしい選手です)

だがチームなど、やはり「見てみない」とわからないので、この日のロシア、高いボールでのせりあいでは勝つ(事実)パス交換でも勝つ(事実)、ということだったが(それだけに)「そのままで」日本をおしきれる、とゲーム中、ふんだのではないだろうか?それが傲慢ということである。
またロマンツエフ(監督)果たしてチームを掌握しているのかと感じた。

つまり日本はロシア「から」見てパス交換「へたである」「日本のチャンスのつくりかた」も「驚きはない」高いボール、ロシアがとる、だが、「フリーキック」と日本が「ホーム」であったということを忘れてしまって、驚きのシュートをうちにいくことをロシアも忘れてしまったようである。

森岡が出られないで、宮本であるが、ラインあげで危ない場面はあいかわらずあって、それがロシアにとって、実らなかったのはただ運であろう。

イングランドがアルゼンチンに1‐0とリードしたあとあの誇り高きイングランドが、とにかく「退いて、退いて、引きまくった」というあのアイデアがおそらく「参考」になったのであろう、先述したように、前半25分過ぎから見たわけだが、右の明神から始まって、松田、宮本、中田浩二、戸田、稲本の6人が守備専門、むろん小野、
中田さらにトップはもともと守備を行う二人なので、守備、守備、守備とやって、飛び出すのは稲本のみというそういう計算である。誰かが「飛び出す」からには、そこへ当然「蹴る」というわけであった。

日本が、攻撃的であったというひとがいるが、そうではないように思える。

ロシアが『パス』にこだわって、特にロングを「使わなかった」「ので」、その「パス」カット、あるいは、トラップつぶしに、身体を「はった」結果、そのボールをとっての『攻撃』は積極的であったし、またロシアが「高いところからプレスをかける」ということはしなかった「ため」松田と中田浩二が「あがれたので」攻撃的には見えたが、基本的な戦術は、『ロシアにパスはさせる、というより、ロシアが自分のサッカーにこだわることを見越して、そのパスをつぶし、ゴール(日本)前で相手にスペースを与えないために、ラインプラスボランチの2線をいつも等間隔にして、かつあまりで過ぎないように、と言う意味で『退いていた』というそういう考えであった。

ロシアはなぜ負けたか?

結果的に言えることは、ロシア人はやはり尊大すぎたようである。
日露戦争の頃と変わらなかったということだろう。

詳細はわからないが、ロシアで暴動が起きているという。むろん一時でこれは鎮圧されるだろう、けれど杉並でワールドカップ前に講演したとき言ったように、ワールドカップは政治的あるいは経済的、人種的な抑圧やら鬱の『ガス抜き装置』であるつまりは『暴動も、ガスが抜ければ終わるではあろう』プーチン体制が倒れるまでにはいかない、だがロシア代表にはとてつもないプレスが「かかりだすだろう」

ロシアにとっては日本に負けたことは屈辱である。だからその屈辱をはらうためには、決勝トーナメントに行くしかない、そこで明日のベルギーがチュニジアに勝とうが、負けようが、対ベルギー最終戦で勝ちに「くる」ことになった、だからロシアが6ポイントまでくると相川は読む。

明日ベルギーがチュニジアに勝てば4ポイントで、むろんベルギーもロシアをやつけて決勝トーナメントへいこうとするわけだから、このベルギー対ロシアも「はげしくすごいゲームになる」

日本はその線で行くと、0ポイントのチュニジアに4ポイントで最終戦、「だから」楽勝ではないかあるいは分けならば、決勝トーナメント、というそのストーリーがなんとなく、この大会で楽に「ぬけていったチームがいまのところ、ブラジル、スペインぐらいということを思うと」非現実的に思えて、どこに穴があるかと考えると、明
日の『結果をベルギー勝利と読むところにある』というところになるわけだ。そこがそうなのか?読み違いか?

つまりは明日の結果を待って『考える』のが上策であろう。
むろん最終戦「勝てば」1位通過だろうが「分け」でもよいとか、相手に可能性がないとかいう事態はまた自ずと話しがちがってくるのでそういうことを思うわけである。
それにしても「稲本馬券を買っておけば、万馬券であった」わけだ。
あとだしじゃんけんではなかったことだけは証明できた。