2002年6月12日(水) イングランド対ナイジェリア

梅雨にはいって、練習が中止、そこでいそいそと赤坂リトルソウル、とでもいうべき街筋にある兄弟食堂(ぴょんぷしったん)にでかけていく。
そこのお兄さんも顔なじみ、だから当然いちばん前の席で、ビールを呑みながら、
ゲームを見る。

そういえばアメリカ対韓国、さいごにあの、ちぇ、よんすがいれとけば、韓国楽に、本戦行き決定「だったのにね」と言ったら、「しょようもないやつ」だというようなことをいっているのだろう。

イングランド対ナイジェリア、0-0

イングランドのシステムに関心をもった。

4-4(フラット)-2、これを採用すると、「果たして封筒の中からでやすか?」ナイジェリアが、特別な守備を「さいようしたのではないので、そこは見られなかったが」例えばこのあいだの柏での、杉並のゲームを思えば、柏、こちらの最終ラインには「ベンチ指示で」プレスこないで「やらせてくれる」。

この「やらせてくれる」ところに杉並は3人おいたが、そこにイングランドなら、4人おいて、相手が数をかけてくるところ(=封筒)。 では、どういうように攻撃(というよりボール保持をはかるのかというテーマでは)どうするのかも、見たかったが、相川の考える方法によって対柏レイソルでも「こちらも応対はした」。

その方法を説明すれば、それは例えば左にボールがいけば左サイドバック、ボランチ、2人、左ウイングハーフというようにトップもはいれば5人は「せまいところにいて」「やむをえぬパス交換をさせる」というようなことである。

だが3-5-2で、それをやると、自分の感想では、こちらの右のストッパーが死んでいる。

封筒の中で、つなぎきることが目的ではなく、できれば、こちらの右へもっていって「いわゆるプレスはずしをしたいわけだが」その際、3-5-2だと右に大胆にチェンジサイドしても、すぐに相手によられてしまうのはなぜか?

この4‐4(フラット)-2だと、チェンジサイドしたこちらの右で、2対1を「つくりやすそうな」感じがするのだが。
右のウイングハーフと右のサイドバックも「飛び出し」「やすい」ので試して見る価値はある。

このシステムを採用すれば、「三木」が前半どうプレイしなければいけないか?は問題がなくなる、ただしイングランドを観察していると、プレスをナイジェリアからあまり受けている感じはなく、『プレスはずしはできて』→だれかが(イングランドのハーフ)が、前をむいて縦にいける場面はすぐできるが、その「パス」は必然的に、ハーフラインてまえ「から」2トップへのロングが主になるのはロジカルである。

なぜなら「あがりめ」をおかないのだから。

これを高校生にぶっかけると、逆にいえば、トップの「能力」をひきだせる、練習システムでもあろう。

前半、ベッカムやら左のウイングハーフも「ウイングにこだわらず」中央の「位置」にはいってくるが、さすがに、トップを「追い越したりはしない」。
昨日のジダンの「前半のやりかた」と比較すると面白い。

エリクソンは、後半相手が疲れてきても、「あがりめ」を置く隊形には変化させず、2トップを「交代」させたのみ、ただしサイドのスペースがあくから、ベッカムの動きの質が,前半に比して、単純な、いわゆるウイングに「なり」縦パスを受けて、ウイングハーフ「ではなく」ウイングフォワード「らしく」変化して行った「ことに」注目
した。

テレビでみていても、ナイジェリア、ただの一度もイングランドの「ハーフ」に自分のボランチの裏はとらせなかった。

このシステムではイングランドも「そこは」とれない。

けれど、攻撃に人を「かける」いつのまにか「攻撃に酔うというようなシステムではなく、基本的には、守備、守備であった。

エリクソンの選択は結果正しく、無事、0-0でゲームを分け、決勝トーナメントに進んだ。

アルゼンチン対スエーデン、1-1

このゲームは見ていない。

ロンドンのだれかが(イギリス人)、「フランスも負けてグッド」だ「アルゼンチンも負けて」なおグッドだ、とテレビの前で、いうわけだ、それを受けて、日本で、水沼あたりが「どう思いますか」とアナウンサーに問われて、「サッカー論」へいってしまう、ところに同じサッカー人としての水沼の能力のなさ、申し訳なさを、私は感じる。

そこで少しでも、政治とか社会とかいう視点でのコメントが「ほしい」けれど、水沼にはむろん無理である。
なぜなら「そういうふうに生きてはいないから」である、そこに集約される。