クリニック(#42)

2005年11月02日(水) 練習 0900―1100@栄光

この日がではないのだが、選手の「自発」のこころを、すでに感じているし、また選手が「サッカーへの関
心、興味」を覚えたのではないのかと、「思うがゆえに」次ぎのステップに進むというように考えた。

そこで、まず、ランニングフォームを教える、といううことをやった。
陸上のコーチからしたら「荒っぽすぎる」だろうが、サッカーでは直線走ならば、結局はスタートダッシュこそ
が、ほとんど唯一大事なことである。だから練習でもスタートダッシュ「だけ」練習するでわるいことはないくら
いだ。

むろん試合のなかでは、自分から30メーターでも50メーターでも「走ったり」相手に強いられて、はしること
になる。

自分の考えでは、それは、栄光の場合、まず体力「なくても」試合やらせてしまえ、試合形式の練習のなか
で、はしらせろ、という主張である、でそういうことで1年間やってきた。

もし、陸上トレーニングをやるというのなら、どうやるのかはべつに「はやくはしるために」どういうことをくふうす
るか「は大事である」というのは、ただ量をふやしても、脳が「こんなことしてなにになるのか?」ということで拒
否感がでて、走ること自体に拒絶感さらには、はしるサッカーへの拒絶感につながっていくおそれがある。

ただしいフォームとこつでやれば、100メーターでも400メーターでもそれほど疲労感というものは、感じなく
て走ることができるようになる、いくばくかの脚の筋肉はそれで発達したり、循環器系も発達するだろうしか
し、サッカー的な筋肉と循環器の発達は結局はゲーム形式のなかで、向上させていくことが最適なことで
あるから、あくまで陸上トレーニングは補助手段である。

だからそののちハーフサイズで5対5をやった。

その前に、フォワードは押しだまそれ以外はひきだまでトラップ練習、前にも言ったことがあるが、基礎中の
基礎にもどった。

最初に「そこに」いっても、選手は練習の大切さを「理解できなかった」というように自分は思う。
だから意図的に、行ってはもどる、ということをする。

もうひとつ上のレベルにいくためにでも「とめかた」と「パス」のしかた「こそが」鍵になるので、高級な戦術と
かシステムにとりくんでも、結果はでない。
自分はとめるのがへただな、パスがへただなという認識を「もっている」と仮定して、基礎をやりにいく。

ハーフサイズで動きながら、「おしだま」を使うか」「ひきだま」を使い、とられないために「スクリーン」をしてい
く、この単純なことなのだが「できる」かできないかで、「つなぐ」サッカーができるか、が決まる、また無意味
な、練習のための練習になることを「どう避けるか」については
キックにいわば魂こめて、足先で蹴らない、ということにこだわると、パスのスピードがあがり、とめかたも、ス
ピードがあがってくるボールに対して、正しく、とめるためには、自分の足、腰、膝をどう「ボールにあわせる
か」という問題を意識していかなければならないから、そのくりかえしで「他チーム」に差をつけろということに
なる。

だからこだま、あたりがいちばんどなられやすいのだが、「あしさき」でパスしてそれは、ミニゲームだぜ、と
いうことになる。そうやって意識化させる。

どこにパスを出したら「良いとか」悪いとかはまた選手にまかせて、(で、まかせても、それほどひどい選択は
しなくなった)

ただ、その前の守備のための2対1をしているときも感じたが、守備の側の「からだ」がきかないので、相手を
やつけられなくてもよいが「あっさりと」ふりきられる(ここをなおしていかない)とレベルはあがらない)のだ
が、そこを修正するには、ハーフサイズでゲームをやるにしても、数をすくなくして、何度でも、何度でもボー
ルに触らせろ、相手に対応しろ、ということにつきるというわけである。

ただし、ひとつ注意することがあって、それは、だれかが「前をむいて」これは攻撃に移れ、というときに、全
員が「あがっていく」ということを、徹底させないと、とくに普段バックのやつは、バックのままにいて、「走る」
ということをしない、というマイナスの現象が出る。

あがってよいのか、よくないのか?それを判断するということが当然出てくる。
あがってよいというときには、30-40メーターを走る、という場面もあるわけだが、体力が「ないので」そこで
さぼるのが、栄光生ということだろう、それを「叱咤」しないと、この練習で体力「も」スキルもというわけにはい
かないだろう。


(記録:相川)