クリニック(#20)

2004年9月05日(月) 県U-17リーグ、対久里浜高校1-1@栄光

選手はまったく、コーチの考えを理解していない部分だが、「ささき」をあがりめにたてる、ということは、その他のハーフの役割が、攻撃でも、守備でも、一 応自然に「定まってくる」ということになる

ただし「ささき」のはたらきかた、別に、まだ教えていないから、言い方としては「以前と同じ」で「ささき、好きにやれである」

だが、次ぎのことを言う
● 2トップのそばにいなさい=サイドにあまり流れる、流れてボールを受けることを(コーチは)嫌う

● どこにパスをだそうが、どこにドリブルアップしようが、いつシュートをしようが、「ささき」の自由、しかし(すぐ近い未来に、トップにパスを出すのは、) ささきということになる、それを課するだけの「はやさ」はもっている。

すると、サイドを使うことが主任務なのは、「ささき以外」のハーフということになる、ささき以外のハーフもなにをしてもいいのだが、もし、中央だけを「ね らうと」なると、チーム全体の攻撃の基調が「まんなかに、よりすぎる」ということになる、ささきも、サイドにボールを散らしたところでかまわないが、ささ きが、散らしてしまう、散らさざるを得ない、ということは相手の守備がオーソドックスな意味で「うまい」ということになる

● そのハーフのたまだしの基調が「あって」はじめて「サイドバック」が主には、ハーフからでてくる「ちらし」のボールを「受ける」任務が主になる、しかし、 そのことを「サイドバック」がまったく意識できない。(←栄光、サッカー音痴のひとつ)まだ右のバックのほうが、そのことの気つ゛きがはやい、

後半でてきた、左バックは最低、このことに限らず、選手を試合に出して、やる=指導者の愛情である、選手を試合から「ひきあげて」なぜ「ひきあげたか」を 「言ってやる」のも、指導者の愛情、「なにも選手が、おのれの仕事のやりかたが、わかっていないのに」試合に出させるのは、愛情でもなんでもない。

ひきあげて「このやりかただめ、あのやりかたをしなさい」で、また試合にださせてやる、おそらく「そういう出したり、ひっこめたり」という方法を、柴野先 生したいなかったのだろうと思える。

● ささきを「あがりめ」にする以上、さとう、と、あおきが、守備ハーフである、さとうのハーフの守備のしかたに「一定性」(=とれるときは、とる、あたりま えだが、とれないときは、相手にスピードあげられてしまう)、それがないため、ラインが(あとで説明したが、第2守備でこまったという場面が)何度もで た。←これも説明

● すると、遠藤の役割はなにか?ということになる、ここ、あきらかに、柴野先生の誤解、

選手の個人個人に役割をふるのだが、試合のなかで、「あがりめ」をふたり置くと言うのは、考えにくい。
ささきあがりめ、なら、だれかが、ゲームメーカー、2人が守備ハーフかないしは3人が守備ハーフだろう、遠藤「なにもしていないのだが」じゃまなだけ。つ まり遠藤が「あがりめ」やれるわけはないだろう、と言った、そのスピード欠如ゆえに、グラウンドで指摘したわけだが、それがただしいとしたら、ささきとえ んどうを並立させる、アイデアは「ない」わけである。ただえんどうがあがりめ、できないにせよ、えんどう「あがりめ」をためすというならわかるから、その 場合は、ささきが「あがりめ」を勤めるということがない、それだけだ。

たった1度だけ、ささき→あおき、そのあとうまくなかったが「見事」なパスワークがあった、この場面を「待っていたわけである」この場面1回できるという ことは、つなぎのスタイルをやっていって「うまく行く可能性」がある、ということになる。

ストッパーおぬきのことで説明して、柴野先生「少しは」選手が「聞く」かどうかということの厳しさを自覚されたであろうか?
おぬき、「なんにも聞かない」
反抗しているわけではない、では反抗しているわけではないから「いいのか」といえばそうではなく「言ったことを」「やれる」のが選手だからということを、 浸透させろというわけだ、言われたことをかりにおぬきが「やれても」では、おぬきは、せりあいに勝てるかどうかというのは、別なことである

(事実は、おぬ き、たまがどこにでてくるかどうかの読み、異常に悪いから、こいつにポジションあるのかな?という危惧はある)しかし、かれの能力があるかないか、という ことと、言うことを聞く、ということは別である、のうりょくがあろうがなかろうが、選手というのは、コーチのいうことを聞くというその部分のしつけが「な いわけだ」

なによりも指導者は「自分が言う、指示の言葉」が「グラウンドのうえで」「実行されているのかどうか?それが見えなければならない」おぬきに「こうしろ」 といっても、彼は「できない」で、こいつをどうするか?それはまた別な次元のことである

(記録:相川)