クリニック(#18)

2004年8月30日(月)練習@藤沢、1430-1645

テーマ:つなぎのサッカー

練習方法:4ゴールマッチ

この練習は「危険」が多い。
横につなぐことが「ただしい」というので、この日にもはやくも栄光生「最初から横を見だした」
だが本日のところは「そこは」指摘しない。

● バックパス「なら」横ではなく深く「さげる」そういう位置を「とる」

● パスアンドゴーをする(今まで追及してきたテーマを、かならず生かす、そうでなければ練習に一貫性というものがでない、やったり、やらなかったりでは、練習が支離滅裂である。

● ハーフにつけるなら「間合い」がなくてはいけない、これも同じである、まだできないやつがいる(こういうところが、運動鈍才栄光生だろう、しかし、わかってきたやつも当然いる)

● ハーフは二つのゴールを意識する「だましあい」のはじまり

● ラインも二つのゴールを意識する、だからサイド→ストッパー→チェンジサイドなのだが、だからといって、パスゴーするサイド「からすぐ目を離す」というのもちがうわけだ。

● とばし、という考え方をコーチした。相手を動かせるならより動かしたほうがベターなパスだ。

● シュートをなぜしてはいけないか?MTGで言ったように、つなぎのサッカー覚えるためには、あまりかりかりして、考えが、柔軟性をかいてもいけない、サッカーでは柔軟性というのは、二つのことを、いつも頭にいれてある、ということである。

だからシュートの場面で「相手がよってきたら(栄光生実際は、はげしく動いて守備する気もない)それはそれで困ったことだが」とにかく練習のテーマが「ショート、ショート、展開」なのであって展開に快感もってくれたほうがいいわけだ。

● なぜ勝てないかというのをきょうの練習で表現すれば、縦1本すぎて、相手の「うすい」ところを「つく」などという観念そのものが、ないからである、むろんそういうサッカーはコーチがやれとしたわけである、

なぜなら発展より手前に、「そのていどの縦縦、サッカー」やっただけで「ゲームが壊れないチームはいっぱいあるからだ」七里もしかりだ。しかしそれだけでは、あまりにも単調であるゆえに、「ボールをとられない、とられる危険を犯さないサッカー」「をしたいわけだ、」それの修得時間かかる、
完全に消化してじぶんのものにして、
で、ゲームをやってみるだろう。

● そのサッカーのやりかた(つなぎ)で、ここに、これからいろいろな「もの、考え方」をもりこんでいくわけだ。
むずかしいが「やっておもしろいサッカーだろう」

トップが「いない」ので、これ幸いとばかり、つなぎのサッカーで、ライン同士のつなぎ、それにラインからハーフへつなぐ、というところだけ、やったというわけである。

きょうまだ取り上げていないところは
●ハーフのパスアンドゴー
●ハーフの味方のひとがあけたスペースへのラン
●ふりむいたハーフの、縦パスのだしかた
●つまったときの、ラインの対処、(ストッパー、サイドバック)つまったとき=あいてのプレスがラインにきた、
ト言う意味である。答えは「ロングキック」

だからある意味、どちらのハーフもいってみれば、「守備的ハーフ」のような、役回りであった、そういう練習になってしまう、ということである。この練習で、「上がり目』自身の「仕事」の中味、「あがりめに対する」ラインやら守備ハーフの仕事の中味、そういったものは、教示できないのだということを、柴野先生には考えてい
ただきたいわけだ。

ただそうはいっても、コーチとして、観察の主眼はあがりめの「ハーフ」を実際に、だれにするかをいってみれば、コーチの課題として、見ている、「ささき」はその候補のひとりである、理由はただ「速い」というだけで、本当の所「あがりめ」に適しているか?それはまだまったく結論出せない。

ただし本人は「ただの小僧みたいなプレイが大好きで」いかなる意味でも、戦力になろうという意識はない。
いまのところ。
それを変化させていくわけだ。

で、問題はトップも含めてあるいは他のポジションも含めて、「君は」「ここ=ポジション」を「やりなさい」という指摘をなるたけ「はやくしてやることだろう」むろんだぶることもある「あがりめ」に2人指摘された選手が「いる」という意味である。
また「あがりめ」と「守備的ハーフ」というダブルの指摘があってもよい。

なぜ「はやくしてやるかといえば」「責任意識を負わせたいからである」競争は「ないわけだ」それが現実である、で、なぜ「このこは、ここをやらせているのか?あるいは本人がやりたいのか?」わからないが、あたりまえだが「蹴り」のサッカーで通じるということと、つなぎのサッカーでは通じないということがある。

つなぎのサッカーでは通じないから「きみには、もうポジションはないよ」ということを言いたいのではない、「最後の最後では」「いいよひらきなおって、へたはへたで、やったら」とコーチは言うと思う、それまでは「スキルアップ、」を言うだけだろう。他に道はないから。

栄光生「へたを承知で」なお「やって楽しいサッカーをこれから追求していくわけだが」あたりまえで、選手に「二つのサッカー」を「きりわけろ」ということを、指導していくしかないわけである」きょうがその第1日蹴りのサッカーならきょうの4ゴールマッチでも、例えばサイドバックが縦に蹴ることは許容されたわけだ、しかしつなぎのサッカーでは蹴るような場面もおいていない(縦、短く練習させている)だからそこを選手が幼稚に「よくわからない」ということでは困るわけだ。

蹴りのサッカーなら「ある判断プラス、ふるまいは」ただしい、しかしつなぎのサッカーなら「正反対にそれが」「いけない」ということになる、このことを「よその高校生に理解させるのに」「ほんとうに時間かかる」相川が賭けるのは栄光生「そのきりわけ」すくなくとも」「頭で理解できるだろう」ということである。

(記録:相川)