クリニック(#16)鎌倉カップ

2004年8月25日(水)鎌倉市大会@栄光

大船高校、あるいは鎌倉学園、いずれも最悪の相手である。
なぜかといえばあきらかに選手の「サッカーやれる能力」を「監督の先生が、そのサッカーへの無理解で、 殺している」ということがグラウンドで見える、そういうチーム「だからである」無理解といえば「ほめすぎ」で、 要は、サッカーとか、選手を、私物化して、自分が自己満足の楽しみをしているわけだ、ただし、自分も、若 いころは、そういうチームやら指導者に「義憤」感じたが、今は、「やりたいようにしてください」だろう。

本日のMTGのテーマはひとつは抽象的なこと、これからも何回も、「言葉をかえて」選手にといかけるだろ う。
それは「おまえらなんのために、サッカーやっているの」というもの、相川の答えは「おもしろいから」だが、そ れを押しつけるつもりはなく、ただ多聞、「やる以上は、そこへ(表現はちがえど)くるでしょう」という思い。

だったら「結果とかなんとかでなく」「ゲームが楽しい」ということ、それでいいではないかと「あれをやらなく ちゃ、こうしなくちゃ」ではなく、それはむろんコーチとして教えるが、授業が6時限あるとして、サッカーが7 時限めの、「なにか義務」とかそういうものじゃないんだ、とした。

すべては「選手が、その気になって」はじめて、実現するものである。

試合に臨んでは
1) ラインの「よこの動き」というものがあるとした、それをやらなければ、「いつでも、ラインは」「そこにボール がきたら」チャレンジそしてカバーが担保できない、わけだから

2) ハーフがボールをもったら「どう攻撃か?」ここはまだとてもじゃないが「デザインはうまくいかない」
だが相 手のハーフをフリーにしてはいけない、ここ(ピックアップ)ただのくそがんばりでできるとした、トラップかんた んにうまくならない、パスかんたんにとおらない、しかしここは「がんばればできる」そして、藤沢で、注意し たように、「とれるかどうか、わからないのに、とびこむな」(ついでにいえば、えんどう、最後まで飛びこんで いた)ここが、できて、対大船、なんども「ほかのハーフがインターセプト」が成功したりした、また、多聞今ま では「飛びこんで」しまってスピードあげられて、中央突破だ、逆サイドにもってこられて、柴野先生の言い 方で言う、スペース使われて、失点というそういう記述の結果がでていたのであろう。率直に言えば、「そこ」 が誤解されていたと思える。

2試合を通じて、ラインのはねかえし(とくに、3番のはねかえし立派であるし)カバーもほぼうまく機能した、 中盤の「行くか、行かぬか」の判断、「間違えた場面もあったが」そこは相手が「へぼ」で、助かったりした、 そういうように、サッカーをやって勝機はこのサッカーではなかなかつかめない、のはむろんだが、しかし「負 けない」ということは覚えられるわけである。

それはたとえば、自称トップの「さとう」「今後」では140分「やって」トップ当然ゴールできない(でしょ)だか ら簡単言えば、このふたりは「トップではない」わけ

またトップとハーフがからんで、ゴールということも見られなかった、そう言うテーマは、トップが「らしくなって」初めて、とりあげるテーマで「あって」柴野先生にりかいしてもらいたいのは、「このまま」では、そのハーフもからませての、「攻撃サッカーする」という方向性には「いかない」ですよ、という、そういう判断です。

あがりめ、もむろん「わかっていなくて」まったくこちらの期待からはずれています。

対鎌学の先発の守備ハーフふたりも「サッカー的には」なぜ、「でてくるのか?」わかりません。

それから「あがりめ」も他の選手を試されてもしかたがない、だい1試合のできでした。
次ぎに出す、選手が「うまく」いくかどうかそれは、わかりません、しかし、今このくだらん大会を「勝とう」なんて思わず、選手の適性を実際に「試す」そういう季節ではないでしょうか?
そこの発想が「貧困」ならば、先にいって、困るわけです。

つまりだれが、先発を決めればいいか、わたし全く興味ありません、現に日学では、先発は、じぶんが関与 しません。というのは結局は、先生がサッカーを理解し始めたら、こちらの考える所が「理解できるわけです から」権限で決めるではなく、要は、常識におちつくからです。

対大船の左バック、グラウンドでいったように、この選手「ゲームを壊しまくっていました」そこが見えるように ならなければなりません。

で、彼の1年先、このままなら自分には見えない」わけです。
そういう選手をいかに「出したり、入れたり」しながら、最終的に「良い選手にしていかなければならないわけ です」そこでただ説明したり説得しても、無意味です。そこを間違えないで下さい。

涼しい気候も味方ということもありましたが、要するに、サッカー「うまいから」勝つわけではない、サッカーの 指導者すぐ「サッカーの本質」間違える、そう言う危険性を大船、鎌学見せてくれました。
栄光、内容も悪くはなかったです、しかしこんなへぼチームに5-0 で勝てる、そういうサッカーを栄光「やれるわけではない」

(記録:相川)