クリニック(#12)

2004年8月11日(水)選手権、栄光対県立瀬谷0-3@瀬谷

8月09日(月)の練習後に柴野先生が、この公式試合の先発をどうしましょうか?という相談をもちかけてきた が、コーチの良心に則して、「いかなる意味でも勝てないのだから、先発もなにも先生におまかせします」と 言って帰った。
勝つ機というものが、「なにであるのか?」準備していて、まだピンとこない、わけだから「勝てない」(と、選 手にも言ってある)
勝てないのに、「勝てる」という、言い方は、栄光でなくても、したことがない。

そのかわりに、サッカーをやることはどういうことなのか?このひと月、言えることは言ってきたし、選手を「選 手権に勝とう」なんて、誰が耳にしても「信じられないスローガンではなくて」「サッカーを覚える」という的を 与えて、で、ここが大切なところだが、サッカーを覚える、ために、利用できる、機会は利用する、というそう いうアプローチである。

以前は、ただの「よそのひと」で、チームあるいは個人が、どうこうということは知らん顔していたが、今回は、 少しずつ、少しずつ、平たく言えば、選手が選手らしく、チームがチームらしく、なるために、苦言を呈しな くてはならない。

まず、ベンチの雰囲気がひどく悪い。
それは、ハーフタイムに一喝した、選手果たして、わかったか?柴野先生おわかりになったか?
例えば、栄光は試合中の給水をどうやるのか?
そういうことは、やらないで、ベンチのなかから「阿呆のように、がんばれ」なんて、声かけしているだけだし、 ハーフタイムにベンチに選手がもどってきても、がやがやさせているだけで、まるで「戦う集団」の雰囲気が ない。あれでは選手は集中できまい、もっとも集中するといっても、いまのところは、「なにを集中するのか」さ えわからない、幼稚者集団である。

コーチはなにか「きっかけがあれば」それが、マイナスなことであれば、そこでなおしていこうとする。 柴野先生が「これでよい」と思っているのかもしれないが、戦う集団であれば、もっとぴりぴりした雰囲気が 「あるのであって」かつ、それは、コーチが選手に充分にサッカーを教えたうえで、コーチが、戦う精神をま えに出せば、自然にでてくるわけである、いったい、どうして、サブの選手がベンチまえでおしゃべりしてい ることを「許せるだろうか?」

同じようなことが、火曜日、日本学園で起きて、とくにその選手がルール破ったとか、校則にふれたでなく、 ただ「練習の試合中にふたりでしゃべっていて、そこにパスがきて、なにも行動おこさなかった」のですかさ ず、その日は練習からでていけ、さらに、きょう監督から報告がきて、Bチーム降格、ということになった。
こいつら当分試合にはださない。

年がら、年中、いわば、がつんとやっているのではなくて「サッカー的に見て、ちがうよという行動を」選手が 見せたら、すかさず「程度はあれ」ぴしっと、やる。
うまい、へたではなくて、サッカーやるのに、マイナスなこと、グラウンドにもちこませない、そういうことをやら なくてはいけない。

練習は、テーマに集中するならば、にこにこしてやらせても、いいと、いうコーチである、とくにゆっくり、やら せないと、なかなか、覚えられない、スキル、戦法なら、はたから見たら、こんなゆるさでだいじょうぶです か?と思われるようなモードである。だが、試合に集中しろ、という一点はゆずらないし、まさにその試合とい うものではぴりぴりすることを「選手に教える」ことがだいじなわけだ。

で、怒るときは、なぜ(サッカー的に見て、おまえら、ちがうんだよ)ということをはっきりといわなければならな い。
選手は前半から、ラインのダウンで自信がない状態であった、ただし失点はラインをダウンさせて裏に来る ボールを予測したら、実際はボールが足元(現実は、頭にあわせてきた)ということで、じゃーどうするか?と いって、「守る」という単純なことをするしかないわけだが、今の所はできないのだろう。

だから「負けた」わけで、不思議な負けというわけでもない。
攻撃は、だれを出したところで、同じだろうが、要は、トップにパスがでないのだから、勝機はやはり「なかっ た」ということだろう、そこまでとてもではないが練習もしていないわけだから、批判はない、ただ、時間は無 駄にしてきたのだね、という感じはあった。
こういうふうに「なってしまう」ということが、わかっていて、こういうように「なる」のだから、やはり過去1年の「過 ごし方」があたりまえだが「問題」であったわけだ。

ただ、それが「今、どういうかたちで」でているのか?そこがわからない。
過去をどうだこうだでは、なくて、気がつけば「それはだめ」と言い出しているわけだが、何が「駄目なのか」 大人が理解しないといけないだろう。

(記録:相川)