クリニック(#4)

2004年7月23日(金)練習1000→1200@栄光


本来は、グラウンド半分使って、「ハーフのサッカー」=つなぎのサッカーの第1歩から始めようかと思案していたが、暑い、なかで多聞集中できないだろう、と読んだ。
で、フルゲームで、つなぎの第1歩のテーマから始めた。

■「自分の間合い、敵の間合い」むろん自分の間合いを準備するのが、サッカーである。

そのうえで、パスをもらうというのが「すじ」である。そこをわかっていない、ということは以前からわかっていた。あらためて、わかっていないね、ということを認識した。
ここが思案のしどころだが、サイドバックに「縦蹴り」を教えて、で、毎日練習のチームの場合は、つなぎを追及する場合は、縦蹴りを「やらせない」というしばりをつけてしまう。むろんまた最後には縦蹴りを復活だが、栄光は、そういう手間をかけられないだろうという思いである。

しばりをいれる、と、結局は縦の味方には「目をつけないで」それ以外のところを「さがす=視野を選択する」ということになる、栄光では、縦蹴りはそのままにした。そこしか他に、栄光の未来はないと思うからである。つまりしばりとしばりの両極を右往左往させる時間はない、OJTで、昨日のテーマはそのままに、別な極端にもってこない、という方法論だろう。

言い方としては、「縦に蹴っても良い」しかし(最初から)縦が押さえられている「ならば」ハーフの足元をさがせ、しかし、そのハーフが「さげるようなことを」許さない、とした。
このことを30分して理解した、ハーフもいたことはいた。しかし最後まで「わからなかった」やつもいた。

走らなくても(暑いから)よいが、テーマをやってみろ、と言われても、頭の中で、ぎりぎり、サッカーを考えてきた、癖もないので、出すほうも、受けるほうも、できない、サッカーをなめているわけだ。ただ前述したように何名かの、選手は最後の時間帯で、少しわかってきたという現象が見られた。

やれない「こと」というのが、何か?そこがむろんわからない「から」そこを教示するため、にコーチが存在する理由があるわけだ。
最後に選手に言ったように、フリーになる=自分の間合いを、つくる、というその動きができて、前をむいたハーフは他校に比べて、キックやら判断が劣るとは思えない、つまり選手はわかったかどうか、自分の技術の活かしかたを「できないこととして」覚えなければならないので、技術がないというのではない、わけだ。

フリーでないときの、出し方、受け方、そんなこといくら「やったところで」よそにおいつくわけもない。

自分の読みでは、学校秀才、栄光生という「ならば」コーチのいう理屈を咀嚼して、よそよりも「はやい」判断ができる、選手になる「可能性」はある、そこに、活路を求める、つもりである。