クリニック(#1)

2004年7月13日(火)練習@栄光、1540→1700

テーマ:
ウイングの活かしかた。
能力とかサッカーやれるやれないに関係なく「ウイングのもらいかた=アップあるいはダウンと、その指示の声のだしかた」からはいった。

選手は、集中しているときは「アップ(前準備はダウン)ダウン(前準備はアップ)の」声をだせるが、興奮すると「はい」とか「名前を呼ぶ」というようになる。これは経験済みのことだが、いつ、いわば身につけるか?

これからより高い次元のサッカーを紹介されて、「どうやって、今ある」「幼さ」とでもいうもの「から」離陸していくのか??この幼さのなかに、ただの次元が低い、評論家みたいな「他人への文句」が見られる。
それから失敗してやたらに「謝っている」のが目立つ。
謝ればお互いのレベルの低さがカバーされると、思っているかのようでさえある。

クロスの先(まと)は、ファーポストの「さらに先」とした、あとでMTGにて、クロスが「ほぼだせる」なら(将来の姿)「受けて」にたいして、クロスのさばきかたを練習でやるだろうが、クロスが出ないなら、そんなことやっても「しかたがない」という説明をした。
ものの順序である。

またクロスを例に、練習では「いくら恥ずかしいほどに、どじっても」コーチは罵声ださない、だから選手同士も「言うな」とした。
この考えが浸透するのにも時間かかろう。

むろんより高いレベルにきたら、コーチは「口でもいいから、味方の「攻撃やら守備のやりかた、非難しろ」という、(簡単に言えば、身内のほめあいなんかはいやだからだが、)、逆なことヲ言い出すだろう。
今は、選手に「できないことに、敢然と、とりくむ」それが栄光のサッカー部の「よいところだ」ということを教えたいわけだ。
練習の「本当の意味」を教えられていないからである。
選手になって「いく」過程で練習というものが、どういう意味があるのか、まったく「わかっていない」からである。

そう言う意味で、結果を「求めるな、」ただテーマをもらって「ばかみたいにテーマをやってしかし、、結果でない、」それでもいいではないか、とした。
それが練習における。「正しい、態度」だとそこを浸透させたいわけである。

だから極端に「やって」その日コーチが「やれ、とりくめ」というテーマ、それに結果でなくてもいいから、やろうとすること、それだけをMTGで強調した。

むろんこれだけではあるいは、この日だけでは、わからない、この教条を動かさず、当分ここに選手がつくかいなかを観察していくことになる。

ただこの日の練習でも、後半になれば、「選手がこのゲームのやりかた=テーマの追求に」なれてきて、「うまく」なってきた、あえてコーチは右から、右からとクロスをだせとしたわけだが、相手に右サイドを押さえられたら「どうするか」はアドバイスしなかった。答えはむろんボールキープである。
換言すれば、ボールキープがへたなわけだが、そこは後日のテーマである。

よそのチームにくらべて、7対7のゲーム、すぐ選手は足をとめてしまう。
さー10分ぐらいのスピード持久ということだろう。これを、当然70分にまでもっていくわけである。
ただストッパーを「どうするか」サイドは誰は別に「ハーフ」にひとはいるだろうという感想は得た。

選手として、「なにが足りないかを」これからアドバイスしていくぞ、というそういう話しになっている。
(記録:相川)