クリニック(#31)

2005年6月28日(火) 練習 1530-1700@栄光

8対8をハーフサイズでやった。
テーマを二つ、キーパーからキーパーの選択でロングを蹴る。それをどうやってマイボール化していくか?
当然二つの場合がある。自分のほうのキーパー「から」ロングで始まる場合と、相手のキーパー「から」ロン グで始まる場合とである。

自分のほうのキーパーが「あがれ」の指示のもと、トップめざしてロング、当然ファーストを、こちらのトップが とりたい、(平山ならとるだろう、)逆にいえば、常識的には、ファーストは相手ストッパーが、触る、つまりは ボールはこちらに飛んでくる。どこに飛んでくるか?その落下点を「読む」わけだが、ここでのセカンドひろ い、の「こつ」は、こちらのハーフがスピードあげて落下点にとびこんでいくことにあり、最初から落下点に 「いる」ということでは、ならない。

相手がこちらに背をむけて、セカンドをさきに触っても、相手にバックパスさせれば、それでよろしいわけだ から、こちらの最初の位置のとりかたを間違えると、セカンドのところで、相手にいきなり「縦を向かれる」とい う間違いをすることになる。
逆に、相手のキーパーがロングを蹴ってきた場合、むろん、ファーストで勝つ、かたないと、話しにならない (ヘッドが大事だという根拠である)セカンドのひろいかたを相手が上述したようにくふうしてきたら、言い方と してはセカンドで負けてよいわけではないが、サード(3番目)でプレスを必死にする、ということになる。

どちらにしても「ハーフの意識」が蹴りに対抗して、対応をしなければならない。それは内面の、ことだから 行動にしっかりでてくるまで、コーチが「声をださなければならない」しかしあきらかにその、効果を選手が、 自感していることが観察されたら、あとは選手にまかせればよろしい。

このことは茅ケ崎にしはま戦でハーフタイムに説明したことだが、それをさらに、整理して、選手に、レク チャーし、練習させたということになる。

キーパーからつないで、という場合には、では、3人のハーフは「蹴り」の場合と異なり、一言で言えば、自 分ラインのほうに、同じことだが、自分のゴールのほうに、自由で良いから、足元ボールをもらいにこいと、い うことにした。

もう1つのラインでのつなぎのしかたはずっと、プレス受けたら、ライン同士は小さく、である。むろん「こだま」 あたりは、そう言うこと忘れているから、3人のラインで、2人がアップアップしているときに、知らん顔で、● ―――――●―●のようになっているわけだ。「たいら」でもむろんそういうことを「認識」する神経の「はや さ」が「ない」選手である、だからこそボールが「きたら」ボールプレイできないわけである。
「やえがし」が、ハーフにつけるボールをしっかりグラウンダーにしていることが、目をひいた。「よしだ」が言 われても、なかなか「グラウンダー」を蹴れない(とくに左は、あわれな栄光ドメスボールである)のと対称的 である。

さいとうの「伸び」なりいの「伸び」ある意味では普通のこと(ただしいトレーニングを与えれば、だれでも伸び る)なのだが、1年前に比較したら、すばらしい伸張を見せている。多分、ここまできたら、いかに「自分のパ スを相手に読ませない」という段階に進むのだろう。

例えば「なかた」など見ていると、ただ中学の経験でパスを決めてしまっている、つまり「無条件」で「みうら」 を見てしまう、ダしてしまうというやつだ。
結果はパスタイミングとして、良い意味で「はやかったり」ゴールになったりはする、しかしそれは私に言わ せれば、サッカーを故意に、矮小化するものである。

そこを、選手が「受けとめたら」もっと「サッカーが面白くなる」ということになっている。「さいとう」を例にした ら、1年前に、そういうことを彼に言っても、ちんぷんかんぷんで「むろん」「できなかった」であろう、つまりたと えば、ボールタッチひどい、顔がたっていない、フェイントない、足のふりかたでたらめ、スクリーンかさらす かの判断なし、というようにである、すべてのことが、「なかった」あるいは「未熟」であったというわけであっ た。だから、一般的に、「つなぐ」サッカーをずっとやらせて今日にいたったのだと、コーチは考える、だから ここから先に行けるわけだ。

ここからさきに行けるのに、「中学でやったこと」を練習させれば「それは」「選手の動機」にはならない、栄 光サッカーが、覇を再びとなえられるかいなかは、だから、高校1年で、「先に行ける」という状態を実現でき るかどうかということになろう。


(記録:相川)