クリニック(#5)

2005年2月04日(金) 1530-1700 練習@栄光

ぬくぬくオフイスで働いていた日々もあったが、今は、とにかく肉体労働者で、食事には気をつかうが、たまに時間おせおせになって、この日のように、車の中で、サンドイッチなんてことも多い。
いつもなら、木曜日の大船行きだが、今週は、金曜日。
道はすいていたので3時にはついていた。

「なりい」を見にくる、OBのひとがきたら、(プロではないけれど、やはり見たい選手がいるから)グラウンドにくる、というのでないと、OB「だから」現役はげましに来いというのは、いいにくいという、とんでもないことを言い出しているわけである。

普通の選手であって、よそのサッカー学校だったら、体力ないからせいぜい3軍あつかいなのだが、かといって、よその学校のグラウンドにたっていても「目立つ」ということを言いたいわけだ。

コーチ商売の楽屋裏を、いえば、例えば、初めて、その高校チームを見るときに「なりい」のような選手にいわば遭遇するわけだが、まず隣の先生に聞くのは「あいつ1年生ですか?」です。
「いや(何年生でもよいが)上級生です」っていう答えがきてだいたいは、がっかりもする。

1年生「なら」体力が、ないということなど、別にどうということではないので。
その選手の[センス]の有無がなによりも、大切であるがゆえに、まず、そこにものさしをあてるわけである。
で、センスって、なんですか?と問われて、いろいろな表現があるだろうが、わたしなんか「試合にはいって、力みのない、雰囲気だと」思っている。
ボール、とめるのにどっこいしょとか、蹴るのに、やっとこさとか、そういうことがなくて、ということだと思っている。

なりさわ、見間違いもあろうが、そういう無駄の「なさ」を感じる「から」悪いわけではないのだが、この時期で目に付いたからといって、いかにも遅い。

この「なりい」が「声を出せれば」(だが実際は無理だろう)ポジションはラインのまんなかということになる。

というか、よそのチームならチーム作りの早い時期の、どこかで、試合で試しているだろう。

この日は3分の2の縦を設定して、(そうすれば、アップダウンする距離が短いので)やりたいことの頻度があがる。

MTGで、かんたんに、
1) ライン(3人で構成)が、攻撃時にどういう原則でポジションをとるか?について、それに連動して、どうやってハーフがボールをラインから受けるか?をひとつのテーマにする
2) 攻撃の「やりかた」をPCにおけるひとつひとつのファイルだとしたら、そのファイルに名前をつけて「グラウンドの具体的な場所で」「どのファイルを選択するか?」選手にはっきりとした、ファイル=仕事の中味、の認識、そして、その「はやい」変更もひとつのテーマとした

サッカーは判断ゲームなのだが、ではなにを判断するのだ?と聞き返すと、ひとにより考えていることがちがう。
とてもわかりやすい例で、かつはじめて栄光をみたとき、すぐ気がついた悪癖は2対1への偏執であった。
例えば右サイドで、一生懸命に小さいパスつないで、ワンツー、ワンツー、みたいなことをしていたのである。
この、問題は、普通のコーチでもサッカー少しは知っているものならかんたんに「小さいところにこだわってますよね」というしろものだ。

どうして、そうなったのか?は追求しないのだが、2対1を攻撃側が「やろうと」いえば、相手は2対2にしようとするのだ「から」まず、ここで求められるのは、そのまま2対1を「やろう」とするのか?「やらないのか」という「判断になる」はずなのだが、ここにマラドーナでもくれば、マラドーナ「なりの」判断が「でてきて」普通の選手には無理な=やめたほうがよいという判断をコーチも奨励する場面で「さえ」マラドーナなら「やろうとして」かつ「成功してしまう」ということ「も」考えられる、コーチの面目丸つぶれということ。
だから「そこで、黙って、選手にまかせる」自分が「恥かきたかない」では話しにならない。
だから栄光生の「こだわり」を尊重してやろうか、というようには、「ならない」わけだ。
当然「手をつける」対象になる。

まず、2対1であれなんであれ、スポーツで「なにやる、」「なにやらない」この選択する、しないも実は選択だが、とにかくそれは一瞬のことであるわけで、栄光生、そこからして「ぼっちゃま」である。
ボールを「どこかに通す」も、ボールを「相手から」「かっぱらうのでも」すべて、「まばたきする瞬間」に「やる」「やらない」ということなわけだから、そこを、練習で追求していくことが、ただしい。
ただ、本質的に、そういうスピードを「愛する」という家庭環境ではないだろう、ということが実は、コーチにはつらいのだが、愚痴をいってもしかたがあるまい。

2対1へもどれば、協会のマニュアルでも昔、2対1をハーフラインから初めて、ゴールラインまでやらせていたなんて[間違い]があったくらいだから、無理もないのだが、現実には、それが「可能なのは」一瞬でしかなくて、その場面をのがせば、それにこだわってはいけないわけである、だから、先ほどのマラドーナなんか忘れろである。

2対1をやろうとして、相手がそこに守備にやってきて、2対2になってしまう、しかし、ここが表現が一番むずかしいのだが、
まだそのサイドに「こだわる」ことがあっても、それは理にかなうのだと思っている、というのは、あまりに、あっさりと2対1あるいは、サイドからの攻撃をあきらめると、とくに高校生選手は、横パスが通ればよろしい、ということに傾きがちで、そうではなくて、相手に「攻撃するぞ」という攻撃圧とでもいうそういう感じを、2対1に限らず、どんな攻撃でも、こちらが作り出さないと、パスの道というものを計算しただけでは、サッカーは相手を圧倒できないからである。

だからそれを3対2にしろ、と言う表現にする。

ここの「つないでいるのだけど」「圧にはなっていない」という、そこを見分けるのが、商売人かどうかということになる、
だから2対1にこだわって、もよいし、こだわりすぎてはいけない、とでもしか表現できないつまりそこがニュアンスである。

そのニュアンスが、個人の判断のなかで、2対1やるか、やらないか、すこしひっぱるか、というようにでてくるから、ロボットゲームではないのでおもしろいのだが、教えて行くときには、ニュアンスなんか「まったくないぜ」しかし「攻撃の、名前はある」というところから、はいっていく。
2対1でワンツーねらいに行くが、その瞬間をのがせば、すかさず、3対2にしなければ、そこで、2対2のままなら、相手が優位にたつからである。

さらりと、2対1があって、2対2になったら、3対2に「しなさい」というコマンドが選手に「いく」そうしなければ「ならないのである」それでそのサイド「から」は攻撃しないというのであれば、展開ということになる。

例えば、右から左に展開=サイドチェンジであるが、どう「きざむか」むろん最善は、例えば、セードルフという選手がいるわけだが、実に理にかなって、この展開を1本で、おこなってしまう。

高校生がそうであるように、訓練させる。

だからシーズンの、最初にロングキック(パスではない)「から」はいっている。ロングが蹴れるということをレッスンワンに置いたわけだ。

貧弱な想像力しかない、栄光生は、このいわば着手に無神経であるので、ここまで進んできたとき、まだ一発で逆サイドロングではない、そこできざんでもよいとするが「ボールのスピード」が相手のラインや、ハーフの横移動の走るスピードとたいして変わらないから、逆サイドへ展開という、その先で、「なにも良いことが起きない」という事実になる。
むろん先行しているチームではここはうまくいっていて、選手は、サイドへ行っては、逆サイドということの、サッカー的な楽しさを納得しつつある、つまりは経験的には、うまくいくことはわかっている。

その途中で、サイドへいくのをやめて、中央を「つく」というテーマもあるが、まだそこにはいかない。というかいけない。

前にも書いたが、ゴール前「から」相手のゴール前に、行かなくてはならぬサッカーというスポーツで、栄光は自分たちのゴール前にほとんど押し込まれて苦戦する、だから本来は、ゴール前での守備から攻撃にきりかえる練習が優先的なはずだが、そこを逆転の発想して、相手ゴールまえでどう攻撃するかをイメージして、そのことで、こちらのゴール前から、とにかくぬけだす方法(すでに教えてはあるが)を強化していけばよいのだと思っている。

ひらたくいえば、相手ゴール前にいく、方法を把握したらかといって、自陣から脱け出せるわけではないのだが、自陣「から」余裕もって脱け出せなければ、しょせんは脱け出そうとするだけでは、サッカーにはならない、ということを強調したいわけだ。

練習の結果、
1)3バックのラインのつくりかた、まだ理解していない
2)3バックに対して、ボールをもらいにくる、ハーフがやはりいない、し自信に満ちていない
3) 相手ゴール前にきたら、2対1場面はあるが、トップを使ってもよいゾーン「から」トップを使おうという意識はないし、受けるほうも、観客やっている。無理もないが、
4) 逆パスということを言い出したのが、遠い宇宙からの言葉のように思っているだろう
5) 勝負ボールを、どこでもいつでも、だしてしまう、幼稚さがめだった。

だが、要は、サッカーやさしく考えれば、「ボールとめる」「ボール蹴る」それだけだ。
ボールがとまらなければ、この練習も楽しめない、それだけだ。

だから先生には、土曜日、別に先生の考えでよいから、またゲーム、ゲームでいいのではといって、赤坂にもどった。良いことも、あったことはあった。進歩は遅いものの、ないわけではない。
(この項終り)

(記録:相川)