コーチの目

2003年12月15日(月)

12月14日(日)は武蔵野の成蹊大学の人工芝グラウンドで、まず日本学園対成蹊高校のゲームを見た。
成蹊高校、カテゴリーは、Cだろうね。
だって、コーチにしてみたら、そのチームの「全員とは言わないが」「ボールをとめるときの、足のボールへのタッチのしかた」「強いボールを蹴るときの、同じく足首のつくりかた」などを、試合前の練習あたりから、それとなく見て、判断する、ただし、試合そのもののやりかたは、アップでは判断つかない、アップを妙に外観からしたら「気合はいったものに、しあげてみても、いざ試合が始まると、」「サッカーの本質は、出せないね」といったチームもあるから、アップの組織化「なんか」いくら見ても、わからない。ただ個々の選手の、個々のスキルのいったんは見れる、だからそれだけ「から」判断すると、成蹊の選手、ろくに「ボールと自分」ということなど煮詰めていないと見えた、で、Cクラスであると。

こんなすばらしいグラウンドもっているのにね。

ただし、ここはおそらく協会サッカーおたくか?
いつもいうように、グラウンドで選手が、この日は「アプローチ、アプローチ」なんて叫んでいれば、そうでなくても、「やっぱし」とわかるわけで、「サッカーも戦争だ」と思えば、どう考えても、自軍の軍機を「選手にしゃべらせる」ということは「おかしい」と思える、例えて言えば、いまから「自爆テロに」「行くぞ、行くぞ」と、 悲しきイラクのテロリストが口にするかい?

それはともかく、フラットひいて、カウンターばかりくりかえすサッカーであった。
こちらもまだ、試験明けすぐであるが、かねての予定で、練習試合でグラウンド条件相手の強度など思案にいれたうえで、こちらも、フラット、(ただし、まだプレスについては、注文なし、ボールめがけて、だれもかれも突進してという、アンダー20みたいなサッカーは、やりたくない)つまり中盤のプレスは、古典そのまま、また4フラットだが、攻撃にはだれが、いつでも出て良い、としているので、4人どってと、ならんでいる、場面はあまりなく、あるときは3人であり、あるときは、2にんである、ということは許してある、ということは、選手にフラットをやらせるとき「どういうわけかはべつに、確かに4人いるとき、」「どう守るか?」だれかが攻撃にあがって、3人しかいないときに」「そういうフラットをやるか」はたまた「2人しかいない、」「からにはこれはどう考えても、フラットじゃないだろう」というように説明をわけていく

成蹊のラインを見るまでもなく、
あいてのフラットが「崩れだしている現象」が「でなければ=こちらに見えなければ」こちらの攻撃が効を奏しているとはいえない、
崩れ出している現象とは、
1) ラインがうしろに「後退」しだす(ダブって表現しているが)
2) 後退しだすラインが凸凹になっている
そういうように見える、そういうように見えないときは、いくらこちらの攻撃がボールをつないでいても、基本的には、相手がカウンターを飛ばす、チャンスを「もっている」とみたほうがよい、すなわち、こちらの攻撃が成功しているとは言いがたい、これが「キープはすれど、攻撃はしていない」ということになる、だからキープは教えて、また攻撃も教える、というのが現代のコーチの責務である。

ブラジルに1―5で負けて新聞にまで、「韓国であれどこであれ、日本は組織で守った」「だけで」サッカーそのものは劣っていた、と、言いたいように言われる。

夕方見たミランのマルデイーニ、相手のなんという選手か知らないが、ただの一度も裏へ走られなかった、それでいてミランも4フラットである。
だからこの前半の部分、守備の選手に必須な古典としての1対1のつよさ、それをどうやって強調し、強化するのか?

小は成蹊の学生、コーチから大はアンダー20の大熊監督まで、「真剣に考えてよ」じゃないのか?
だってサッカーだけではない。
人間の数ある弱さのなかに、「行きすぎる」ということ「も」あるからだ。なんでもそうだ

成蹊の選手、「先生かコーチにいわれたとおり」「ラインをあげて、日本学園の単純な攻撃を、ラインではねかえして、カウンターにつなげて」前半0-2、後半、こちらが攻撃を変化させて、かれらが2-3、後半こちらが、フラットで徹底するとハーフらいんもこえられない、ということになる

昔は、選手は選手なりに、「おかしい、おかしい」というゲーム展開になれば、自律てきに「修正しようと、することが、選手の必須条件であった」し「またコーチもそういうように、選手に教えていた」
後半成蹊のバック、ハーフ「どうしてよいかさっぱり、わからない状態におちいる」

国分寺に1-1のあとチームに浸透させていったのはたびたびのレポートで書いたことだが、
1) 横パスの考えの復習
このこともACミランを見ていて、感じるところあった。
フラットで待ち構えている、相手に、「読みきられたパス」をこちらがいれてしまうことが「攻撃単調」と言う意味になる。

ついでにいえば、ミランも突如、トップへロングを出したりする。読みきられているはずのパスなのだが、それでもトップへは出す。
あとのパスは「うけるほうの間合い」を忠実に追求している、ただし2度、「これはへんなパスだな」というパスがあって、その2度ともボカにシュートされていた。
こいつらでも、高校生みたいな、「読みきられた」ところにパスをだしてしまう、ということがあるんだね、とは思った。

だから極東のはてで、わけのわからない高校サッカーをやっている、コーチといえども、「ボールゲーム」という視点「さえ」獲得すれば、わたしのような平均点以下の頭脳であれ、ミランの選手をそこで批判することさえできるのだ。

2)2ウイング、あるいは3トップ
このところずっと2ウイングをライン上にはりつけて、ゲームをやらせている。
急いで書くと、2ウイングをフラットは押さえられない。
こちらのボールのはしらせかたが、かたにはまれば、はまるほど、相手のフラットは機能する、だから理屈のうえでは、こちらの攻撃が「かたにはまったものでなければいいので」そのためには別に、ウイングが必須ではないのだが、右から攻めて、最後は左とか、昔ながらの古典を「攻撃で」かつ、右から左に仮に「こちらがつなぎきったときに」相手のハーフにその「逆サイドへのパス」の脅威を感じさせるのではなく、あいてのラインに脅威を与えるためには、ウイング「ハーフ」ではなくウイング「フォワード」を用いる、べつな表現で言えば、サイドメンが「最初から」高いところにいなければ、脅威にならないということだ、4-4-2でも3-5-2でも良い所、だめなところはむろんあるが、この、前線から、ひとつ段差をおいてかまえたウイング(ハーフ)という意味では、いくら逆サイドにボールをとばしても、相手ラインの「横の移動のはやさに負けて結局」は「大きくボールを移動させた」だけの結果になったりするからである。

3)3トップ採用では、まずサイド攻撃はうまくいく(対フラット)しかし、対フラットのどまんなかにどういう攻撃をしかけるかそこがかんばしくない。だから3-4-3がやれたら、解決かなという思いがある。解決とは、サイドにも脅威そのまえに中央にも脅威、中央→サイド→中央と言う古典である、ミランはその点参考にはならなかった。4-4-2でポジション崩させない、からである。