「知と熱」とサッカー

2003年11月20日(木)

雨で練習は中止。
「知と熱」を読み返している。
ラグビーとサッカー、発生は同じということだが、浅いところでは、その「構造」がずいぶん違う、だが深い所では、勝負ごとだ。
似通っている。

知と熱をテキストとして、自分のサッカーを考えている。

いちいち、その登場人物がどなたであるか注釈つけてると面倒くさいので、不親切のきわみで、「考えるところを」紹介、おのれの思惟をちょっとばっかり書きつけて見た。

59ページ:川越は自身の現役時について、こう記憶を語ってくれた。「僕は、柯さんのようにラグビーを理論つ゛けることにはあまり興味はありませんでした。ただラグビーは、ルールや人数、いろんな点から考えて、デイフェンスが、アタックを上回る競技である。そう漠然とは思っていました。構造上、どうしてもボールが頂点にある。それに対して防御は横に広がることもできるし、集まって止めることもできる。だから相手が普通に攻めてくれるならば、いくら球を出されても、そんなにはこわくない」
この川越藤一郎という人は、1937年の早稲田主将であったというひとだそうだ。

旧きをもって、排斥の対象にすれば、おのれがバカを見る。

自分が生まれるより前からあった、サッカー(ラグビー)に真剣にとりくまれた人達の、研究に、Reviewをもちこむほうがよほどに、おのれの血のめぐりをよくするはずなのだ。
ラグビーはこの川越さんのいうところを信じるならば、守備的なんだそうだ、ではサッカーは「ここが議論を呼ぶところだろう」

昨日、暁星と新小岩で練習ゲームをやった。

前半、日本学園の4-3-3に暁星、(4-4-2)おされっぱなし、シュートチャンス完全に崩して、5-6度、うち1点、暁星もコーナーから、こちらの1年生の精神どうにも「甘いのが」かぶって、1-1ではあったが、林先生「どなりっぱなし」と、ここまではよかったが、後半今度は、日本学園がどじった。

暁星「から」見たら、日本学園「どう、前半見えたか」そこは言葉にならないが、
1) まず3バックに変更、2ウイングハーフをこちらの「ウイングフォワード(といっても前半と交代させたが)」にひっつけてきた。
2) それからこちらの4ラインへのプレスはあまり強調せず「やらせてくれる」が縦にはいってきたら、暁星のハーフ、トップで密集守備
3) こちらが前半はやれた、ラインのサイドチェンジまで押さえられたとは思わないが、「なぜか?」そのサイドチェンジまで、なくなって、3トップを横に結ぶ、パスを産み出せなくなり、
4) ということは、こちらは、窮屈なサイドから能のない攻撃をしかけては、失敗して、カウンター、3点くらった。計2-4完敗。

ラグビーの先達のお言葉を借りれば「暁星に」「集まって守られ」て、どっちが頭がいいかといえば、暁星のほうだね、という思いをもって暗澹として、蔵前橋通りを赤坂にもどってそのまま呑みにでかけてしまった。

高校生レベルでは、こちらのバック4人に「もたせてはやるが、攻撃してみろ」という守備をやられると、あきらかに、才能が「ない」やつに攻撃をさせるわけだ、ロベカルもいなければ、ベッカムもいない。
はちゃ、どうなる?
というわけでこういう場合、失点する前に、「ゲームが壊れていくなという、予感がして実際そのとおりにゲームが壊れた」

システムを「変える」というアイデアもある。

だが日本学園が、やりたいのは、あくまで「攻撃」をし続けるということである、暁星は守備システム変更である。考えさせられる。

136ページ
かって大西は、チームがうまく機能していない例に対して、よく次のような表現を用いた。個人的にも何度か聞いている。「芯がぶれとる。みんなが少しずつ自分のしやすいように動く。自分の得意な楽な方法で動き出すんだ。すると負ける。ことに学生はすぐに負ける」

攻撃の芯というのはサッカーでは、自分たちが相手に関係なく「さっさと攻撃してしまえる、その全体的なアイデア」だと思っている、暁星の前半、相手の4バックフラットなどなにも機能しないで、日本学園両方のウイングフォワードを使い切って、相手ゴールに楽々接近していけた。
後半、この芯がなにか?ということをグラウンドのうえで選手が見失っているのが、感じられた。すると大西先生の表現のほうが、豊かなのだが、みんなが少しずつ楽な方法で動き出す、で、負けるというわけだ。まったく相手の機先を制していることが「ない」。

木曜日練習キャンセル、金曜日もあやしいが土曜日公式試合である。少し苦しい(が、なんとかなる)
(この項終わり)