コーチの「こだわり」と指揮

2004年10月03日(日)

まー明日はこれでやってみようということである、として臨むはずの対実践だが雨で中止順延となった。

テレビで、日本対カタールを見る、ときどき寝たが。

大熊監督の指示の声でかいので、ふーん、大熊は「そうやってサッカー見ているんか」というところが参考になった。

攻撃では、「あしもと」「つなげ」と言って、結果失敗しているとよせばいいのに「そこは裏」だなんて声が聞こえた、要は、結果が出ると、その逆は言うというやつだ、延長にはいって、選手のだれかに「つなげ、つなげ」とわめいていたが明かに「選手は、監督の言うことなどきいていないで」「裏へ蹴っていた」

企業における、スタッフ管理の専門家あたりが、このことの意味わかったら卒倒してしまうだろうシーンである。

守備のほうは、多聞まちがった声はださないのだろう。
ただし1センチ動かして、なんの意味があるのとは思う。
高校生あたりが、相手のスピードに弱気になって、すこし間合いをとりすぎるのを、ベンチから叱咤するのとはわけがちがうはずだが。

ただし、カレンロバートに「まー、可哀想なほどボールへいかせる」あとは、どう「やるかとか、どこではどうやるとかに無縁のように見えるのだが、」「はさめ、はさめ」と1対2を要求する。

で、解説松木の目からしたら、ひらやまが攻撃起点になったばめんで要は、平山の近くに、カレンだ他の選手のサポートもっとはやくしろ、ひらやまとの距離を近くしてやれとしきりにいうのだが、それって、どう考えても、フォワードや、ハーフに、守備での動きを要求しすぎるので(あのカタール相手に、ひとりでとったり、ふせげるかどうかはわからないから、言わないが、はさめ、はさめとわめいている場面でさえ、なかなかとれないカタールという感じであった、当然運動量守備で要求される)から、松木の言うような、攻撃の動きにはいけないのではないかと、わたしなら、考えるのだが。

さーそれでも圧倒的におされた試合を、延長、PK戦で勝っていくのだから、よかった、よかったということになるのであろう。
勝てば官軍、まーその先はよくわからん。

ただ、カタールのほうは、ロングをトップにだして押し込んでは、「彼らの、好きなサッカーをやるが」日本は、「押し込むためのロングを出して」相手陣内にはいったら「どうサッカーやるのか?」「やや、統一をかく」といういんしょうであった、幻のゴールは確かにオフサイドであったろうが、ああいう攻撃をできるわけで、他にもハーフラインを超えているのだから、そこではパスにというより、ランに巧緻さを求めて悪いわけではないのだろうが、そこの「きりわけ」が、ないように見えた。

また、そういうモード(=パス交換モード、あるいはハーフがやるサッカー)では「ひらやま」が「じゃま」だろうというのが自分の考えである。
そういうモードでは、あきらかに「もっさりしている」
多聞「速いパス交換」と言うモードではボールに触れないのだろう。

ただ「押しこむための、条件の悪いボール」を受けるという機能では「ひらやま」仕事できるわけで、そこがね、痛しかゆしだ。

それにしてもカタールの攻撃の特徴、「まあいのない、つまりは背中をあいてにとられている選手」のあしもとに「どんどんボールをつける」それがある程度は機能するということ、わたしのいいかたでいうと「小さくして、そこに数を集めて」そのパスは通す、とられない、という自信とスキル、意図的に「はやくはやくトップにロングやミドルをいれていく」戦法、そのふたつで、日本は翻弄され続けた。

ただそれだけでは「攻撃サッカーで」「リアクションサッカーを」「ねじふせられないのだ」ということではないか。

ベッドに寝転がっている、ローカルサッカーのコーチ、相川でさえ、「思考は、そこまでは、到達しているつもりである」

で、結局PK戦にカタールにすれば「もちこまれて」またまたサッカーがもつ不条理の犠牲者になってしまったが、10番、ひだりききの左ストッパーなんか、「こいつらどういう選手になっていくか、見たいね」と思わせる、いわば個人の可能性では、どう考えても、カタールのほうが、正道歩んでいるのではないだろうか?

その前、土曜日であったか?

Verdy対神戸もおもしろいゲームであった。

神戸の監督が交代して、ユースのコーチが代行でどうだこうだ、というようなことはわからないのだが、Jリーグのチーム構成もそんなもんだ、という悪しき見本みたいな出来事である。

そのなんとかという若いコーチのコメントで「プロの選手はみな、理論をもっているから、なっとくさせる練習をしなければ、唯唯」というのがおもしろかったそんなの、高校生だって同じなはずじゃねーのと。

だから揚げ足とりたいのではなくて、もし監督やらヘッドコーチ、なんでもいいが「自分が考える」サッカーを選手にやらせたい、ということであって、だったらどうするかこの場面では、こうしろ、ああしろというそのコマンドをどうやったら、選手が「やってくれるか?」コマンドが『蹴れ』「走れ」「あたれ」と3種類しかなくて、コーチが大声だしていると、それが実現するものだとして、では、その程度でまかなえるサッカーでレベルがあがっていくものなら、100%とは言わないが、サッカーコーチも試合を演出できる。

ところが、コマンドはもっときめこまかくなるわけで、そしたら「どうするか?」そこのところをつきつめて考えなければ、語彙がやたらに増えて、そのとおり選手が動くなんていうものでもない。

ベンチではほとんど無言のアルデイレスだが、無言であるから無能というものでもない。

どういう理由でさくらいのワントップになってくるのか?そこはマイナス埋める理由もあれば、プラス効果を狙っての理由もあるのだろう、それでいくとして「あとは選手がやれ」というのではないかと思うが、攻撃がうまく「いかない」そうこうするうち、「このまま、カズがいてくれたほうがいいね」とおもうほどに、なんにもしない、できない「カズ」にかえて「わただ」だしてきたときJと無縁のコーチでも「Verdy,わただになにか、てあて、するのかな」と思っているうちに、「ずどんとバックが、からだで押されてヘッド決められた」

わただのプレイスタイル「ぐらい」計算にはいっているのではないの?とこれは別に、監督に言っているのではなくて、選手に「どうなの?」と言う問題だろう。

Verdyの攻撃がうまくいかないように見えるのは、いろいろな言い方ができるが、アルデイレスにもあるサッカーへの「こだわり」は、あるだろう。

それはどちらかといえば、オシムがVerdyにくるよりは、アルデイレスがきたほうが、Verdyのこだわりと相性がよいというようなものではないだろうか?
だから、うまくいくかといって?うまくいかない。
で、それはどうして?

そのこだわりを、ここでも1試合1試合(ということは、いろいろと相手がくふうしてくるリーグの試合試合ごとに)攻めてゴールをあげ、守ってほぼ零封するということが、サッカーでしかないのだが、それをどうしたいのかが見えてこないということである。

こだわりはよい。
そのうえで、どう勝つのか?
そこが見えない。

例えば「大熊監督」のこだわりが「守備」を強固にしてそのうえで攻撃がどうだこうだと描出できるとしよう、そのこだわりがチームに反映するまで時間がかかる。

だから最初にはコーチの頭の中にこだわりがあっても、チームにはまるでそのこだわりのかけらすら見えない、見えなくてもかまわない、時間のどこかで、この場合は結果でるかどうかではなくて「こだわり」をチームそのものが反映するように変化してきた、というそういうものであろう。

そのうえで「こだわり」を棄てないで、いかしつつ「勝てる」チームにしていく、そういう過程があるわけだが、Verdyの場合その「こだわり」は見えるようなきもするが、こだわりは、どこのチームでももっているわけで、Verdyのこだわり、アルデイレスのこだわり、そのうえで相手にどう具体的に勝っていくのか?
そこが見えない。

だから困るのである。
ずっと同じようなこといっているのだが、攻撃サッカーに「こだわり」それでいて勝負にも強いという、そういうことが一番すっきりすることのはずと言う思いがある。

で、かってにアルデイレス「も」そのてあいだと、思うわけだが、神戸あたりに、2発決められて、負けてしまうしかも攻撃はしているのだが、なんとなく「はいりそうな気がしない」攻め方で、簡単に言えば「自分の、好きではない」攻め方をしている。

参考にならんよね、というやつだ。

だって選手が選手でしょ?っていう見方もあるだろう、それについてはひとつだけ、Verdyの安い年俸?といったって具体的にはしらないが、、それでいい選手はこないでしょ、いないでしょという観点。

よくわかるがすくなくとも、フォワードのところでは、今の給料は安いが、来年は10倍にならなきゃおかしい、という意識がなければ、確かに、アルデイレスに仮にこだわりがあっても、今を勝つというのはむずかしいだろうね。それだけはよくわかる。

そんな、どんなに活躍したって、「ここ」ではそんな給料あがらないですよ、と選手は言うだろうね、

だから今500万円なら来季は5,000万円じゃなきゃ「やらない」
「くれないなら」外へでる、というこういうところがどう考えてもプロの原点。

ただし現実は今季終わって、来季契約600万円でどう?ということになるのでしょう。
予算はないわけだから。

そうなると実は、選手の側も、へこむが(へこんで、試合で勝てなくて、客がこないで、だから)クラブのほうも、経営のダイナミズムを結局自分で棄てて行くことになって、今回の近鉄、オリックスの合併というようなことになる遠因になっていくわけだ。

プロ野球のあの一連の出来事のなかで、サッカーははるかにすすんでいるなんていう、とんちんかんなやつもいたが、ぞれは全然ちがうであろう。
それはともかくVerdyあたり「も」優勝をねらうのはあきらめて、いつも『いきがよい若手』だけでチームつくって、よそにその若手うりだしてキャッシュをつくる、というチームに経営方針変えたらどうかね。

そうなれば、下部組織でやっている若手もがぜんはりきる、そのかわりVerdyは通過点だぜということになる。
23ぐらいで、優秀だが、代表になれそうにはないなら放出だというそういうスキーム、それで3年ぐらいやれば、百年帝国ができるはずなのだが。磐田のケースをどうこの先、よそが、学習していくのか?ということでしょう。
(この項終り)