高校コーチの活力

2004年9月08日(水)

サッカーの業界といえば、JならJは、やはり別格だろう、仮に、今 どこかのJのチームの指揮とれといわれても、対戦相手の生のデータ、自分の目で見た、相手チーム選手のひとりひとりの癖など正直、まったく把握していない。

もっとも、今のサッカーは守りを、わたしから言えば、過剰に「組織化する」ことに狂奔しているわけだから、「こちらが、ボールをロストしたとき、その原因が」「相手の、ある選手の、突出した」「守備能力にあるのか」「要は、とりかこまれて、あれじゃ誰でも、ボール、なくすわな」というその組織化「ゆえなのか」よくわからないところもある。

で、高校サッカーなんか、シダックスの野村監督じゃないけれど「アマじゃ、勝っても、勝っても、ぜににならんわ」とかいったそうだが、そう言う意味では、なんでこんなところに、熱そそいでいるのと思えるほどの業界である。
ただそうは言っても、熱心な指導者や関係者がいるからこそ、結局は300なら300、200なら200あるその県やら都の高校チームのなかで、ベスト32常連とか、いうあたりが、結局は、サッカーのチームとして、評価される、ぎりぎりのところであろうか??

そんな「レベル」を維持あるいは、参入するのだって、これ人間わざであるがゆえに、けっこう大変なことである。

だがその困難さ、「まずは、世間に認知はされていないし、」「この先もされないだろう」 高校の指導者は、だから動機として、いったいどういう動機をもってチームの育成にのぞむか、けっこうおもしろいところなのだが、それもまた語られない、まま時は過ぎて行く。

動機は置いておいても、あるレベルに参入し、そこにすくなくともとどまるということ、基本的には、サッカーのチームだから予算が第一にやってくるテーマになる。
東京の成立が、指導者呼んできて、グラウンドやら合宿所にかねかけて、あっというまに東京の強豪チームになってしまったというのが、そのサンプル。

もっとも、うらやましい、という気持ちはない。

金かけるというならそこは、はっきりとプロで金かけてもらいたい、と思うタイプだから。

そういえばこのあいだ、布がひきいるアンダー17の対北朝鮮のゲームみていて、歎いたけれど、やっぱり、予選通過もむずかしそうだね。
それでも、そのメンバー、ほとんどがJのユースの選手なわけである。
それが(つまり、育っているところも潤沢かどうかは別に、クラブの予算のなかで、練習し、強化してもらって、今度は、協会の予算のもとで、準備してきているわけだ)それがこういう結果だから、だからやはりそこまできたら「金じゃない」ともいえる。

金でもあるし、金でもない。

その成立は修徳やつけないと、ベスト16を4グループにわけてのリーグ戦Aグループに進めない。Aグループは、帝京が城北とあたってこれも勝たないと、あたりまえだが、Aグループに進めない。残り二つには、国士舘(地区予選見ていたが、まーつまらんサッカーだ)あとは、創価か東工大付属か?どこがきても、リーグでは、成立か帝京が順位は別に、Aからの2チームだと世間は見る。

Bグループは、駒沢、都立三鷹、東海大菅生で残るひとつは読めない。どちらにせよ駒沢と菅生がぬけてくる。

Dグループは、久我山、都立駒場、関東一、暁星だろう、どこがぬけてくるかはわからない、Cグループは、堀越、久留米か早実、保善で、で残るひとつが日学の椅子かそれとも去年にひき続き、国分寺かそれとも実践かというような争いである。

イラクでアメリカ兵死者、1,000名超えた、チェチェンのゲリラ攻撃で子供達数百名死んだ、そういうなかで、幸せなものである、模擬戦争で一年努力して、やっと、緊張感が感じられる、ステージにやってきたというわけだ。

世界はひとつのステージで、人間はいれかわりたちかわり、そのステージで、なにかを演じに、あらわれる(そして去る)という言葉が好きだ。

マスコミは、あるいはメデイアは、ステージで華々しい結果を残した、人物やらチームを「そののち」追いかける、そして見よう、聞きようによれば「すてきな、言葉が表現が(ステージにあがるまえからの日々もふくめて)」語られる、それらは残照のように、演じたもの自身でさえ、ステージで「やっている最中以上に快楽があるかのようなのが、現代なのだが」そうだろうか?

わたしなど、そこがステージで、コーチだから黒子ではあっても、その試合時間80分なら80分、その最中の痺れが快楽だと思っているほうだから、ひとつ過ぎ去れば、またその次、またその次であって、言葉の残照などに興味がないので、せめて1週に1度、その痺れがやってこないだろうか、と思っている。

QUEENというのはイギリスのロックバンドでそこのF.・マーキュリーはリードボーカリストで、エイズですでに死んでしまった。
ものの本によれば、死がまじかに迫っていたマーキュリーが、最後に残した曲が「SHOW MUST GO ON」というタイトルの歌で、その歌詞の意味が深い。SHOW唯唯、「ショウは続かなければならない」要は、人間の世界で、費消というものが、続かざるを得ない、ということである。これがコーチをおおいに元気つけさせる言葉である。

「たかが選手唯唯で」と言うコメントで、ジャイアンツのオウナーをやめた、渡辺さんというひとの間違いは確かに鉄を作る、こめを作るというような生産ということではないのだが、ショウとしての野球は人々の、費消しなければ(この場合は時間を)生きていけない、今のライフスタイルのなかで、必須なものになっているということの洞察をはなはだしく欠いていたからだとわたしなんぞは思う。

渡辺さんそのひとは、読売新聞の中での権力闘争やら、中曽根さんとおともだちというような関係の中で、日本の政治をあやつる、楽しみがあって、野球なんか一顧だにしないというような生活の日々であったはずだから、それでいいのだが、読売新聞の中の権力闘争にも参加できない、自民党にも影響力発揮できない、衆生には、野球やサッカーのショウは、重要なものなのである。それだけだ。

今週は、まず、金曜日、都立駒場と、日曜日、厚木の先で神奈川の向上とけっこうきつい練習試合をやる。インドに行く前、代表、どういうわけか東京学館と練習試合やっているわけだが、学館、先生も含めて懇意にしていただいているチームで、学館のほうには「よかったですね」と言いたいが、代表のほうにはいったいどうしたことであろうかと、聞きたいくらいである。

大会まえの練習試合しょせんは練習だし、また公式大会であたる相手のやるサッカーともスタイルがちがう、だから、あらかじめ、「ここをチェックしたいという例によりテーマ」だけが大事で、いくつかのテーマを用意した。

練習もそれにそって、やっていく。次第に、血が煮えていくような感じである。
(この項終り)