高校選手権の地区予選


2003年8月20日(水)

8月18日から3日間、お正月の高校選手権の地区予選で3連ちゃんをやって、水曜日、都立大学付属高校を2-1でやつけて、これで、東京の場合は、やっとベスト42ぐらいになる。
10月から2回トーナメントを勝てば、ベスト16にはいれて、(実質2代表だから、ベスト8なのだが)リーグ戦ということになる。

18日、都立深沢を、4-1
19日、都立千歳が丘を、7-1
20日のこの決勝も、2-1で字面は、辛勝といえば辛勝だが、10-0でもおかしくないほどには攻撃をくりかえした。ではなぜ、ただの2点か?普通に考えれば、18日、19日涼しいゲームだったのが、20日は「蒸し暑く」選手のからだ、のきれ少しにぶかったということと、かつことわざにあるように「どんな低いレベルでも決勝は決勝である」相手は、春先に5-0でやつけた相手だが、その練習ゲームではいなかったと思える、#13が、そこそこの、突進力を、相川がモニターした、対成瀬戦で、見せつけていたので、念のため(選手ヘの説明としては例え1%でも、危険の香りがあるなら、決勝では、ひたすら、その1%に神経質になるぞ、とした)具体的には、ひとりバックのなかで一番スピードがある選手を「キラーにして」「君の仕事はきょうは、ただただ、その#13をゲームからたたきだせ」とした。

その選手のポジション名は左ウイングハーフだが、「あがらなくてもまったくよい」といったからには表向きのシステムは4-4-2になる。
結果、右から左という幅を使った攻撃は「できなくなるわけである」

鹿島ならば、前半はやはりウイングハーフをあがらせないで、しかし後半は機を見て「あがる」ということはできるわけだが、高校サッカーのというより都立大のだめなところは、たまたま良い素質をもった#13のようなドリブラーがチームにはいってきても、指導陣が、その選手に「おもねって(としか相川には見えないのだが)」なにも教えない、ということになる。
だからその選手は攻撃のときには、少し雰囲気があるのだが、「まったくダウンしない、つまり守備にもどらない」そういう常識からすれば「違う」よという現象がいくらでもあるとき、練習ゲームならともかく、決勝で「勝つことだけが意味がある」場合、こちらの選手に「機を見て、攻撃にでてもよい」とは言わなかったわけである。

事実、日本学園たちあがりすぐ、この#13に走られて、こちらのマーカーはすぐに追いついて、相手はボールコントロールを乱して、ボールが相手のドリブルから、どちらのボールでもないという状態になった。
ストッパーのひとりがその、ルーズボールに先についたが、その#13はあきらめず、差し足がよくて、ストッパーのうしろから迫ってきたとき、こちらのストッパー、たまらずファウル、そこが、ぺナエリアの縦の線のところで、フリーキックをきめられて、先制されてしまったわけである。

そのフリーキックをいれた相手の#11などまったくノーマークで、おそらく相手のベンチとしては、どんな流れでも、#13が「決めれば、シナリオどおりだが、#11などのゴールは期待もしていなかったろう」ただ、こちらから見れば、そのゴールはやはり#13のゴールで、ゲーム前、#13に気をつけろ、と言っていたのだが、そういう言葉(=コマンドの重み)を「なぐられて初めてわかる」という情けなさが、気になった。


0-1からスタートしたが、1-1、2-1と短い時間で逆転してその先は別に守備では危ないところはなくなって、大量点がはいってもおかしくないゲームではあった。

これで、おそらく全国にまだ500から600ぐらいは正月をめざす高校チームがいるわけで、そのなかに残っているわけだが、ほかの残りは、もう新チーム「きりかえ」である。
この時期は、だから1日でも長く、チームをサバイバルさせる、ということが、即、テーマであろう。
サバイバルさせるためには、スキルを少しでもアップさせなければならない、高校3年主体のチームが秋まで残っていると、大学やら、残っている強力高校同士のゲームができて、その「コク」は、新チームでは、でてこない、だからこそサバイバルさせれば、個人にもFEED BACKが多いのである。

8月26日に成田を発って、韓国プサンからバスで3時間ゆられて、南海(なむへ)にあるトレーニングセンターで、韓国高校やらクラブと他流試合をしにいくわけである。

この南海には、2001年にFC杉並を連れて、行った。福岡の対岸あたりにある。そのときは、南海群庁のひとに、船にのりませんかと誘われて、漁港から、沿岸を見まわる、役所の船に乗せてもらって、どこを走ったかわからないが、「このさきが、日本海です」といわれて、目の前に、無数の小さな島々が現われては消えということが心に残った、というのは、昔々、韓半島のひとたちは、別に、てこぎの小さな船であっても、この小さな島々を伝われば、けっこう容易に、九州あたりまで渡航できたように思えたからである。

別に韓国でなくてもよいのだが、高校生のまだ柔軟な心に、サッカーは世界のスポーツということを感じてもらいたいというのが、常に指導者が用意すべきプログラムであろう。
大昔イングランド代表だと思ったが、そのチームが来日したときの新聞記事を読んで、英国チームのコーチが、どういう歌なのか知らないが、(英国のラグビーを)世界中でプレイさせて、どこの国とやっても負けない、というような内容の歌を試合のあとバスのなかで唄っている、というような記事を読んだことがある。

アメリカ軍イラクで苦戦しているね。
どう考えても、今世界最強の装備をもつアメリカ軍だろうが、ヴェトナムの二の舞ではないかと言われ始めた。最強の装備ではあろうが、果たして最強の兵士なのか?サッカーのコーチも同じようなことばかり、考えているわけだ。
最強のチームは。

最初の深沢戦の前、相手のベンチが相手の選手を発奮させるのに「日学は、うまいけれど、弱いから、きみたちが勝てる」とアジっているのを、こちらの選手が耳にして、落胆していたが、むろん試合が終われば、そんなことを言っているわけにはいくまい(ということを自分などは、骨身にしみているのだが、果たして今の若いあんちゃんみたいなコーチは骨身にしみているのだろうか)

よそのベンチで叫んでいることがときどき気にかかる「おいおい、そんなことを言って、選手はわかるのかしら」というようなことである。あるいはまたおなじみの青春を惜しむポリシーとでもいうのか「このまま終わって、いいのかよ」と泣き声で言っている、高校生もいたりする、このまま終わるも、終わらぬも、コーチも選手もどちらにせよ勝負という魔物にとりつかれているのだろうに、それは瞬間、なにかを、間違えれば、それまでのすべてが雲散霧消してしまうそういう世界を選んだ、ということである。(この項終わり)