アジアカップ決勝 日本vs中国


2004年8月05日(木)

重慶というのを発音したら、「ちょんきん」というらしい。

この世の中、そんなに劇的なことって、起きないのにね、どうして、サッカーの世界では劇的なことが、おきがちなのだろうか?
ユーロ選手権のギリシャの優勝、どう考えたって、この先もそうそうは起きないだろうに、次ぎは、23世紀ぐらいじゃないのか?

アジアカップ、日本が勝ちあがったその試合さえ見られなかったのだけれど、決勝、日本対中国になってしまった。

日章旗掲揚にブーイングというのを、自民党でもとりあげて、ますぞえ・よういち(こいつは調整インフレ論をこのあいだまで、ぶっていたやつで、時流に乗る発言したいやつと見ているが)それはともかく、でました「北京オリンピック不参加論」

ということは決勝を戦わない、ということか?

ってなこと、いきつけののみやで、話していた。
むろん「やるべし」だろうに。
仮に、北京で日の丸が「焼かれた」なんてこと起きたら、選手どうする?ジーコどうする?
見て見ぬふりか?
あるいは、よしかつの後頭部に物投げられて、よしかつ、倒れたら、多聞没収試合で日本、かちだろう。
FIFAって、別に正義ではなく、ヨーロッパを中心とした、中華思想だから、アメリカ知ったことか?中国知ったことかというところある。
中国がオリンピックを成功させて、21世紀の大帝国にのぼりつめたい、という政治的動機はFIFAわかっていても、だからといって、北京でなにか起きたら、絶対に「剣はぬかれる」と、思う。

それより、今度の決勝戦、レフェリーは「どうやって試合演出するのだろうか?」普通に考えれば、中国より、だわな(と急に、参議院自民党のの青木さん、みたいな口調になるけれど)
それでジーコ頭に、きて、第2の「つばはき事件」が起きるのではないか?
たかだかVerdy相手に「審判がバイアス(鹿島に)かけているって、切れた、男だ」
なにを審判がやるかわわからないが、それを「やった瞬間に」、そのパフォーマンス、飛び出すはず。

それとも、チャイナカンフーに恐れを感じて、「がまんするか?」

昔の高校のゲームなどで、あくどいプレイばかりで、審判もコントロールできずにまるで、けんかみたいなゲームというのが、あったが、近頃はとんと、見ない。

いや、高校でなくても、返還前の、香港サッカーなども、度肝をぬかれる、回し蹴り、とかジャンピング、アットもここまで、凄いかってなプレイが良く見られた。

韓国選手はあまり足を高くあげてファウルということはなくて、身体ぶつけてくる傾向だが、当時の香港のサッカー・ゲーム、などは、カンフー対カンフーという雰囲気があった。
今は、どうか?

1973年のエンドにテヘランから日本にもどって、その次に、外国遠征をしたのが、1978年、読売が一部に昇格して、その褒美?で香港遠征であった。
当時は、むろん「啓徳(かいたっく)国際空港」つまり民家とかビルの屋根すれすれに、飛行機降下していって、空港について、今はオフイスビルになってしまった、リーガーデンホテルにはいった。

そののちも香港には仕事で何度も行っているわけで、78年当時は、タイムスクエアというのは、なかった。気取っていえば「香港再び」みたいなトリップで、たまたまタイムスクエアへ行ったら、見なれた、ビルがすぐそばにあって、「ありゃ、これ昔、最初に香港にいったときの、ホテルじゃん」とよくよく見たら、オフイスビルになっていたわけである。

当時は予算もなかったから、へやは2人一組で、わたしは、事務局長をやっていた、笹浪さんというひとと、同室であった。
選手の誰も、このひととの同室を好まず、それで自分が、貧乏くじをひいたのだが、なぜかといえば、強烈ないびきのもちぬしであったからである。

練習を南華(サウス・チャイナ)という当時の人気チームのグラウンドで、してホテルに戻ってから、また同じグラウンドにひとりでもどって、香港コーチの「なむ・わいまん」を訪ねにいった。
1973年のテヘランのコーチングスクールに、香港からやってきたコーチで、元香港代表のフォワードである。
おそろしく速いフォワードだが1度はイングランドでプレイして、いかにイングランドの選手の「あたり」がきついか、くりかえし、自分に話してくれた。

それと食への偏在というか執着が頑固で、テヘラン・キャンプでのイラン・スタイルの食事は、最初の1回トライしただけで、あとは、一切口にしなかった、なにを食べていたかといえば、、台所から米をもらってきて、室内で、「中国粥」を作っていた。
そこに持参の乾し肉だと思うのだが、とてもだしのきく、それを、少しだけ、まぶして、食べるのである。

あとはリプトンの紅茶パックをかならず2袋、マグにいれて、「これでも刺激がない」とこぼしながら、すすっていた。むろん煙草ははなさずである。

78年、この「なむ」氏は南華の監督であった。

無事にあえて、夜、食事しようといわれて、ホテルにもどって、その笹浪さんにわけはなして、遅くなりそうだから、と告げた。
バレーボール女子代表の柳本氏が代表選手を「どう、練習外で扱うか」がときおり「もれてくる」
ひとことでいえば、「常識的」なことで「選手は、練習をはずれれば、個人として、扱われる」というだけだ。
別に、クラマーさんなども、テヘランで、自分の食事は、自分の宿舎でとっていた、われわれと食事するなどということも、1度もなかった。

自分にすれば、そのことに異論まったくない。

ところが、「そうではない」考え方もある。
それを急いで名前をつければ「日本的集団主義」から、くる生活様式、および、監督が「それを、面倒見る」という行動様式である。
柳本氏が「やらせることが」注目されるということは、その前は、わたしがかってに名をつけた日本的集団主義からくる、生活様式が、支配的であったのだろう。

その主義からくる、様々な、アイテムもいくらでも知っている、
代表的なのは、すもうの稽古と、そのあとの生活様式だろう。

朝早く起きて、なにも口にいれす、稽古をして、それからいわゆる「ちゃんこ=なべ」を朝食にする、身体を動かして、いわば「ガス欠状態にして」そこに「タンパクも糖質」もいれるので、栄養分の、吸収がたいへんに「良い」ここらへんは、理屈にあっている、そのあと眠ってしまう、というのもよい、ただ、実力のない、初心者は当然、この栄養分に富んだ食事にありつけない、仕組みになっている(ようだ)食いたければ、実力をあげろというわけで、「卵がさきか、鶏が先か?」という問題は「ここでは、決着がついている」

自分などは、食事は個人で食べたい時間に食べるという考えでやった。

クラブではおもてむきは、上下関係などというものはない。
(ただし、例えば、レアルなら、レアルも、食事のときに、みんな、そろって食べるとか、ジダンさんが席につく前に、わかいやつは食べてはいけない、とかはないだろうが、だからといって、チームのなかに、ジダンがおそらくは、外国人組みのなかでは微妙に、優位であるとか、イエロがいたときは、スペイン人のなかでは、イエロが優位にたった、というような、ことは、人間の社会だから、あるのである)

クラブ(当時は日本で唯一のクラブ)を、練習だけでなく、練習外の時間にどう管理するのかという、設問への答えもまた手探りであった。
ここで管理というのは、他に適当な言葉がないので、使っている。
日本的な集団主義なら「良く使われる、管理法、コード」そういうものを、例えば当時のよそのチーム「日立」でも「三菱」でも採用して良いのか?という疑問はあった。 

というか、採用したところで、うまく機能するか?ということであったろう。

三浦かずよしがVerdyにはいったころは、自分はもうサッカーの現場を去っていたが、後輩のコーチから「かずよし」が「XXさん、ここではサッカーさえしっかりやっておけばあとは自由なんですよね?」ということを聞かれた、という話を聞かされた。

ここで「うーん」とうなってしまうわけである。

というのは、後年、最後のMEDICALの会社にいたときに、アメリカから、若いエンジニアが、派遣されてきた。

生まれはフロリダである。アメリカ軍にはいって、レーダー関係の、デジタルスキルを学んで、医療用コンピューターの、メインテナンスを担当することで、東京駐在となった。

ある日、なにを話していたか忘れたが、そいつが、「ミスター相川、自分は、アメリカという」「自由な国に生まれた」「どういうことを言おうが自由である」「どういうことを行動しようが自由である」といったことを今でも覚えている、映画なんかで「よく、決めのせりふ」で使われるが、生身のアメリカ人の口から聞いたのは、初めてである。

で、だからといって、この若い男が、「なんでもあり」の無法者でもなければ、礼儀も正しい、良くはしゃべるが、好青年である。

自由ということと、他者に不快を与えないということと、そこらへんが、実は相川さんもわかっていない。
いや、むろんこの一瞬、一瞬は、ジャパンドメスのコードにしたがったり、選手達に要求したり、選手であれだれであれ、評価といえばおおげさかもしれぬが、「ものさし」にしている。
あるいは外国人とコンタクトしているあいだは、ジャパンドメスのコードなんか、頭のかたすみにもない。

つまりダブルスタンダードでやっているわけだ。

このあいだの月曜日、仕事関係のある女のひとと、話をしていて、たまたま、「今、学校では生徒、=彼女のお子さんは、なにを求められているのですか?」という話になって、その答えに、耳を疑った。

彼女が、翻訳したのか?それでも「教育委員会が」というような表現をしたから、彼女の思いこみではない、と思えるのだが、それは「なにか、(子供達に)危機がおきたときに、自分で行動できる」ような人間になりなさいというものです、という返事であった。
えっつである。

いや、その言、それ自身はよろし、のような気もする、するが、こんな程度のいわば「人間として、長い人生を生きていくための」土台作りが、学校における目標とすれば、その「達成目標」は、その程度のものなのだろうか?と正直感じた。

自由とか、個性とか、そういうものを生涯の守るべき価値にしなさい、というようには、日本社会はなっていないと、自分は思う。
そういう方向に学校はむいているわけでもなさそうだ。
わたしのような、生涯一コーチならまだしも、現役の先生たちは、どういうことになっているのだろうか?

この日記、コーチング日記か?恋愛日記か?わからんので両方に配信しておきます。
(この項終り)