夏休み練習行脚

2003年8月04日(月)

やっと、梅雨があけた。

関東地方は8月02日(土)である。

その日に日本学園対都立野津田の練習試合があったものだから、もどってきたら顔が「それこそ火傷」状態であった。
野津田けっこう元気なチームなのだが、まったく無力化してしまった。

まず、最初20分は、こうコマンドした(選手にはいつもニュアンスは言わない、選手はわからないだろうから)
1) ラインがハーフにつけて、そこから逆襲くらったら、それは「悪」

2) ラインやら、ハーフがトップにつけて、そこから逆襲くらっても、それは「許す」

3) だから、とにかくトップをつかって、言いかえれば相手のラインとこちらのトップの「やった、やられた」という勝負の場面を作り続けろという意味である。

4) 後日、桐蔭大学のコーチをやっている八城と話したが、彼のところにくるバックの選手のだれかに「自分の(守備における得て不得手)をレポートせよ、と命じたら、」「ラインの統率です」と書いてきた、という。相川などは「古典」という便利な言葉で、ここでの八城の「なげき」を整理説明するわけだが、むろんラインのあげさげのコントロールなどは、バックのらしさではなく、古典は例えば「読み」とか「身体の頑健さ」とか「空中戦では負けない」とか、そういう表現になるわけだ。八城の次の言葉を待つまでもなく、「だからいったんラインのあげさげ失敗したあと、今の子は、守備がまったくへたくそ、できません」ということになる、(ここは本当だ、責任者でてこいだ)

5) つまりむこうの「大人の猿知恵」ひとたび、こちらが「破る、方法」を勘案すれば、そのさきのあっけなさ、なぜかと言えば、毎日ラインのあげさげ、なんてことを「得々として、やるのがサッカーだと」なってしまったので、バックらしい「やつ」が敵方にも見えなくなった、ということになる。

6) トップは前をむけ「さげてとられたら」「罵声を浴びるが」「前をむいてプレイして失敗しても」「いいじゃないか、昨日まで中3、まだまだトップとしていくらでも課題がある」そのうちのひとつが、「ターンして、前をむけ」「前をむいたらすこしでもステップを踏め」「それでいて顔はあげろ」とこういうことを、試合を通じて覚えろ、とそうであるなら「ハーフのサッカーやるな」ハーフはいつも、トップにつけろとしてある、ついでに言えば、このトップにつけろ、という感覚を「いざ試合になると、どうしても」「俺のサッカーをやってしまう」というのが「らしいハーフ」である。

7) あとはオーバーラップ、オーバーラップの連続である。いちばんわかりにくいのは、ボールをもってふりむいたトップにあわせて、もうひとりのトップがいったん相手のゴールに背をむけてさらにオーバーラップせい、というランだろう、なぜならラインは、こちらのトップが前をむいても、その次のパスをオフサイドをもって「阻止」しにくるからだ。つまり、もうひとりのトップが相手ラインを突っ切ても、そこでオフサイドになるからである。

8) むろんもうひとりのトップがオーバーラップしても、タイミングが間に合わないということもある、あるいはボール持ちの、最初のトップがドリブル失敗もある、しかしオーバーラップしてくるトップがあけようとする、スペースは相手のラインにとって、死角になりがちである、またボール持ちがそこでボールを失ったとして、そのことは「どこでボールを失えば」「ましだという」意味ではしかたがないことである。相手のプレスの餌食になったわけではない。相手のオフサイドを恐れて、横、横につないだ結果、とられたというのとも違う(から、最初にもどって、トップのところで、勝負だろう)といっている。


野津田から、和光大学前を経て、桐光の近くの蕎麦やで、昼食、稲城大橋を渡って赤坂にもどった。

車を捨てて、東海道線で、藤沢駅へ。
小田急、善行で、自分より1期先輩のひとたちが思い立ったことらしいが、その昔、中学生、高校生、でサッカーのゲームをするといえば、善行、藤沢グラウンドであったがゆえに、「善行の旅」と、いささかロマンチックな響きのある企画を立ててくれた。

グラウンドなんか仕事場だから、しょっちゅう、行っているわが身としては、1800からの、呑み会から参加します、といって、指定された番地に行った。

が、それらしき店は見られず、電話で聞いて、その「沙羅亭」というレストランにたどり着いた。店のママが、「きょうは、どういう会合ですか?」と聞くので「子供の頃にサッカーの試合をやった、場所に、再訪」という、ことを説明した。

なにごとも「逢い見ての、後のこころに、較ぶれば、昔は、ものをおもわざりき」だ。

昔は、無邪気にサッカーやって、じぶんなどいまだにサッカーやっていて、やればやるほど、今は、「ものを思っているつもりだが」先輩たちは、「なにを思い立って、善行に再訪してきたのか?」むろん、だれも口にする野暮はなし、ただ茫々とした時の流れを心に押さえこんで、酒を呑んだ。

沙羅亭、おいしかったです。

8月03日(日)

野津田のすぐ隣にある都立山崎にまた練習試合。

FC杉並は02日に、綾瀬でゲーム、1-1この3日も茨木の総社あたりで、杉並となりの世田谷、駒沢クラブとやって、5-0いずれもいけないが、練習ではあたりまえで、日本学園と同じく「フラット崩し」にテーマ集中、選手が「なるほど」となっとくするところまではやっている。

山崎のゲームシナリオも同じ、最初少し元気であった、あいてもすぐに無力化。

ハーフタイムにむこうのベンチ見ていたら、菅平で、どこかのチームがやっていた、レクチャーと同じ光景を見た、すなわち監督先生が、自ら、高校生のひとりを相手に、からだのいれかたをさせている、

わたしなぞは、これをいつも「本末転倒」だと考える、が、だれもが実は「馬耳東風」しかしどう考えても、仮に、プロのゲームを金払って見に行くとき、「相手がよってきて、ボールをもっている側が、ただただスクリーンだけしているとしたら、」「それに金を払いに行きますか」という思いだ。

スクリーン「も」個人でボールをキープできる能、の、「ひとつ」だ。それだけだ。
それだけのことではないか。

昨日と同じコースでまた赤坂にもどった。

ただし、時間がせいているので、ランチはなし。
虎ノ門で、ひとりひろって、東名を厚木に、フットサルの厚木ポイントの開所式に行って来た。

いろいろな人が来てくれたが、「ここ、厚木で果たすべき役割は」「コーチではなく、営業マン」ということだが、来た人来た人、みんな営業対象ではなさそうで、かってな判断でさぼっていた。

東名をもどって、赤坂でぶるごぎプラスビールの夕食をとった。
(この項終わり)