東アジアカップにおける日本代表の攻撃

2005年8月01日(月)

月曜日はどこにも、サッカー教えに行く必要ないので、まず、とこやに行った。
QBハウスですね。
長い間、とこやの椅子に座っているのが苦手だから10分で1,000円、最高。

昨夜は、東アジアカップ、対北朝鮮をテレビで見た。
いつのまにか、北朝鮮の監督、代わっている。
むろん、前の監督、ワールドカップ予選の詰め腹切らされた。

で、新しい監督のことなんにもわからないが、代わったとたんに、日本0-1で負け。
自分に言わせれば、北朝鮮「フツーにサッカーやっていたよね」だから北朝鮮が、勝つ、いわば勝機が見えたかといえば、それは「なかった」ただ結果は日本の0-1であった。

日本のゴール前で、いったんとめたボールを確かに、クリヤーする雰囲気で蹴ったボール、多分だふって、また相手の前にパスになって、それから足ふられているのだが、誰か知らないがひとりは、シュートのところにからだはりにいっているのだが、のこり2人は、スローで見ても、つったっていた。
いささか憮然とするところである。

むろんからだはって「も」ボールにあたったかどうか?そこはわからない、ただ、守備はあくまでも失点を防ぐためにいる、という基本というか古典というか、そこらをものさしであてはめれば、「これはいかんな」だろう。
必死さというものを、どうやって持続できるのか?ということにかならず議論が行くに決まっている、ようなそういう失点のしかたであった。

けれど、得点ゼロというその、内容は、別に、この前のワールドカップ予選と比較して、ことさらに、悪いというようには見えなかった、いつものように、「どうやって攻撃するか?」わたしからしたら、高校の攻撃より劣るというようにしか見えない。

そこを説明したいのだが、つまり別に企業秘密でもなんでもないのだが、なかなか文章では、わかりにくい。
ただ一言言えば、2対1という考えの深さ、にもっと思いをいたせ、ということになる。

最後の、時間帯には攻撃のために「もとやま」「まき」「たなかたつ」「おおぐろ」といったいだれを「どうやって攻撃的に活かすのか」よくわからない、布陣となった。こういうところは、ジーコおかしい。
というのは、最初、たまだ、おおぐろが2トップである。
代表に呼ばれる手前から、つまり柏の不振の主因は「たまだ」の「シュート下手」にあるのではないかと、思っているのだが、その「たまだ」を前線におしたてて、で、やはり「こいつシュートうまくないじゃん」と思える場面がいくつかあって、そのつぎに「もとやま」がはいってきた、「もとやま」「ひとりでプレイしたらときに精彩あるという選手である」つまりドリブル小僧ということだ。

どうやって、攻撃ではやいパス交換をするのか?できるのか?そういうことはどうでもよいように、表からは見える、たまだ、でももとやまでも、そこに生きたパスをおくるのは主には、「おがさわら」ということになってしまって、また本人も、「自分が攻撃起点」だという誤解をもってしまっている、つまりは古いサッカーである。

ただ百歩ゆずって、もとやまに単独突破させるために?出した。そこまでは譲歩、しかしそこに今度は同じように、単独でプレイすることが喜びであり、ブッフバルトにおだてられて、3人だけで攻撃する、浦和のサッカーだけが、サッカーだと思いこんでいる、「たなかたつ」がはいってきた、どうやっても「たなかたつ」と「もとやま」のあいだにパス交換など、ありようもない、ひとりが、突破すれば、ほかは見ているといったていたらくに自然になるというわけだ。

そこで今度は「まき」がはいってくる、彼に課されているのは、長身を生かした、クロスへのチャレンジだということは、わかる、するとパス出しのほうは、「まき」見て、クロスを蹴り出す、するとテレビにジーコがわめいて、自分の誤解ではない「なんで、サッカーやらないんだ」という意味のポル語が耳にはいった、解説の越後さん、その言葉むろんわかるのに、どういうわけか、ジーコの言っていることを無視していわば空中戦に傾いていく、日本をサポート、「まき」にあわせるクロス、そのこぼれに反応しようとしていたというおおぐろ、をほめだす。
ジーコは「まき」を出したからと言って、クロス、クロス、クロスを好んだと言うのでは、なさそうである。「おおぐろ」にも「もとやま」にも「たなかたつ」にも「まき」にも、適切なパスを出してやれ、ということをいいたいのかもしれない、そこでわからなくなるのは、サントスである。後半は4バックのサイドだが、3バックのウイングハーフの場合と、「なにがちがうのか?」いや守備のことはここではとりあげないとして、要は、サイドにはっているだけで、いまひとつ、攻撃で、サイドから「ただあげる」のではなくて、ゴール前にも「あらわれる」他の選手に、パスも出す、というような、多用な攻撃を許されているわけではなさそうだ、そのおかげでか、この日なら「おがさわら」からパスが出て行くことが目立つ、それってよいことではないでしょうか?って思うひとがいるだろうが、それはちがう。攻撃起点がいつも「王様のように目立つハーフである場合」試合の進行につれて、それは相手にも見え見えな現象だから、結局は、彼のパス先読みきられる、というのが、「王様のようなハーフに依存することの危険さ」を説く理由である。

とにかく最後のほうは、いやジーコもしっちゃかめっちゃかだが、越後氏も、あたかも自分が監督になったようだ。
サッカーでは、よくある、パターンで日本負け。
次ぎは韓国だが、このままでは、攻撃の本質をもとめていないので、苦戦だろう。いいとこ分けであろう。

明日から、茨木波崎の、サッカー大会に行ってくる。
チームは順調にしあがってきている。
高校生が自分でゲームを「感じて」相手への対応を変えてくれれば、よいという思いで練習を行ってきている、そのためのくふうもする。

中田は今の全日本の選手はリスクテーキング(危険をあえてひきうける)ことをしない、と言ったそうだが、それを自分なりに、言いかえれば、サッカーの試合のどこかで、「ギャンブル・プレイ」をやるかやらないか、ということも、サッカーがサッカー「らしく」なるかならないかの、わかれめだとそういうことだと、思っている。

一番、教えるのに、むずかしい要素だと思っているし、ギャンブルゆえに、裏目がでれば、「そこで試合が゙終わってしまう」ということもあるわけだ。
ただ、そこのところが「管理すればするほど」消えて行く要素でもあって、今の全日本も「うまい」のだが男臭さのないサッカーだねと思える。
宮本が守備かためているようじゃ、終りだね、ということだ。
昨日の宮本の、負けたあとの顔もひどかった。
優等生が希望の学校の試験に落ちたあとのような顔していた。
こいつにはキャプテンシーなど求めるほうが無理であろう。
(この項終り)