菅平合宿2:フラット崩し

2003年7月25日(金)@菅平

対藤枝明誠は終わって見れば、4-1。
藤枝はこのごろのチームにはめずらしく、リアクションサッカーではないところをめざしている印象、ただし4バック(をのちに3バックに変更)こちらに「フツーの意味でのプレスはきていたが」3にんでとりかこめ、みたいなはなしでもないので、前半はかえって、こちらが、余計なことをいろいろ考えていたみたいで、パスの「流れの中に」今回のステージでの、目標テーマ「トップをどんどん、使う」という攻撃方法ではなかったし、ラインで(あんまり長い間、ボール・キープをさせたくはない)がかといって、ボールもちが、余裕がないのに、やたらに「縦へ」つけていたら、忙しすぎるサッカーになってしまうも道理で、後半はそこをまず注意のうえで、トップに、ということを強調した。

午後は、なんと霧のため試合中止、かつ夕方からはこの上田、佐久地方に雨雲ありで、明日のゲームも心配である。

東京にもどったら、この菅平ステージでは、2トップがユニットということであったが、ウイング・ハーフと同サイドのトップが「ユニット」である、というアイデア「も」練習していきたい、というのは、2トップの動き方はいろいろな変形がでてきて、それはそれで、実りが多かったが、ウイング・ハーフの動き方には、不満があるからである。

どう言う不満かと言えば、ウイング・ハーフが相手の、アウトサイドに攻撃されて、こちらのゴールにひっぱられたら、その次、ボールをどこかでとりかえしたとき、「足元」でもらおうと「しすぎたからである」身体的に、きついことを要求はするのだが、もらう前に、やはり「フォワードアンドバック」の「ラン」をためしてもらいたいからだ。そしてそのウイングフォワードの「ラン」が第1タイミング「ならば」第2タイミングを近いところにいる、フォワードというようなことをしてみたいわけだ。

そのときもうひとりのフォワードには「ボールサイド」へきてもらわないうように「したい」わけだ。

昨日のゲームでは大量リードしたあとも「生真面目にサッカーやって一喝されたわけだが」対藤枝戦あと5分のところで3点差にしたので、コマンド、「クロス禁止」「ロング禁止」で相手をおちょくりにかかった。時間的には短かったが、コーチが何を言いたいかはすくなくとも頭で理解はできたようである。
パス、パス、パス、サイドチェンジ、サイドチェンジ、サイドチェンジ、フリーなものへパス、フリーなものへパス、という言い方になる。
相手は戦意は喪失してしまった。

だから聡明な同僚コーチ諸氏はこの言い方のなかに「今、フラットプラスプレスのサッカーを相手に、攻撃サッカーをぶつけたい」という人がいたら、ヒントがあるというように感じてもらいたいわけである。

で、ついでにいえば、フラットプラスプレスのサッカー「だけが」金科玉条だという、コーチたちとは結局クロスすることはないのだ。

アンダー22の韓国対日本で、グラウンドコメンテーター??の福田が、「後半どうすべきでしょうか?」と聞かれて、「高いところでプレスして、ボールをとって積極的に」というようなことをいって「またか?」と暗澹とした気分にもなった。

日本人ぐらい、言葉の魔術にかかる、民族はいないねと思う。

フラットをやぶる攻撃法のはるか手前には、(基礎には)あたりまえだが、古典的な、サッカーの常識がやはり「あるのだ」
しかし、確かなことは、その古典を「そのまま」にあなたのチームにぶっかけても、フラットが勝つ。
だから、まず古典を「さらって」そのうえで、フラットくずしを選手に浸透させねばならぬ。

私の、思いでは、(その全部をカバーしてはいないが)
1) トップが、フラットの「裏」をスピードを「あげて」つっきる「という、ラン」をそれでは、自分がオフサイドになると自ら、止めてしまえば、ただでさえ通りそうもない、ラインの裏へのパスが通るはずもない、そしてフォワードも死ぬ。

2) 他方、トップのあしもとにボールがはいって、「ふりむけたとして」そこでつったつようなトップは「使いにくい」ふりむきの速さが大事、またふりむいたあと、立ってパスをさがそうとすると、フラットのえじきになる

3) いろいろな理屈をたてて、横パス、バックパスをやってしまうハーフの意識を変えないと、フラット崩しが成り立たない。横にまわす、うしろにさげる、ラインがキープする、こうしたことをいくら繰り返しても、フラット崩しの「きっかけは」掴めない。

4) フラットラインが「あげ」か「さげ」で守ろうとする、あげの場合とさげの場合と、当然場面はことなる、ただどちらでも、相手がきめるその特異なタイミングを、狂わすことが大事になる。だから、攻撃側のとくにパス出しをするほうが、このタイミングについて感性がなければ無理、しかし、ランする側を考える時、フォワードの古典はスペースゴーのスピードであるわけだから、そのことを「殺す教え方」はサッカーを萎縮させる。オフサイドではないと自らが信じた「飛び出し」をフォワードに励まさなければならない。相手のラインが「あがろうとしているのに」「飛び出して、おまえはなんだ」というコーチの叱責は、犯罪的でもある。相手のラインがさがろうとしているのに「なんでおまえはさがってきているのだ」というコーチの叱責も同じく、無茶なことを言っている。だから、ユニットということを言い出した。

5) パッサ‐も「プレスを受けて」なかなか「前をむけない」それでもボールスキルとはやいパス交換は、「プレスを、交わす」という信念をもたなければならぬ。そして、「前をむいて」そこで「とられるかもしれない」という「判断」を中学時代に、教わったか、自分でくふうしたか、どちらにせよ、無邪気なパスをだして(結果とられるような中学生)を積極的に高校で採用しないという事実があるからこそ、その常識を変えてやらないと、フラット崩しのうち、パッサ‐の側の問題は解決しない。

6) あがりめといおうか、攻撃ハーフといおうか、過去には10番というのは、キングオブハーフであったが、対プレスでは、従来の働き方では、フラットプラスプレスの餌食になる。10番はむろんパッサ‐でもある、しかし、2トップのラインへの挑戦に対応しながら、パッサ‐の役割を放棄しながら、またパッサ‐もねらう、というのでないと、フラットプラスプレスが勝つ。

7) 簡単なことだが、そこにたちはだかるもの(フラット)があれば、一般論でいって、そこを「迂回する」考え方は、まず無効であろう。ここでは抽象論でいうが、「フラットをいかに混乱させるか?」そこが攻撃したがりコーチの発想のスタートラインである。
(この項終わり)