コーチ VS 評論家

2003年7月21日(土)

梅雨はまだ明けない。
雨で、グラウンド不良になったり使用中止になったりもするが、日本学園は順調にテーマの展開を求めて、こちらの思惑が伝わりつつある。

市原のオシムが市原対磐田ひきわけのあと新聞記者に「磐田のサッカーをやるには、体力が必要だ」と言ったとか?
例により翻訳というか通訳というか、そこらへんの問題があって、オシムが何を言いたかったか、本当の所はわからない。

早野のNHKの偽解説を聞いていたら、市原、強さの秘密を、「ひとつのプレイを例に」長く「走る」からだと、きいたふうなことを言っていた。

この男のだめなところは、それ自体はサッカーでは、確かに「有効」なことだが、それなら「なぜ、ガンバはやらないのか?」「磐田はやらないのか」という、ブラウン管のこちらがわにいる連中の、胸にある疑問をさきどりできないところにある。

どうしてこういうことをいいたいかといえば、
じぶんたちは、フラットを「やらない」
じぶんたちは、プレスを過剰にはやらない、というときに、ではコーチの仕事は何か?また、ではサッカーってなにか?というあたりまえのことがあって、それに、どこかの解説者やら評論家のように、机上の空論ならぬ、紙上の空論を展開しているだけでよいならともかく、フラットやらない、でも「フラット」をやつけなければならない。
過剰にプレスは採用しない、でもプレスをそんなもの知るかとばかりにかわさなければ、ならぬわけでそのうえで、紙上への発表である。

磐田のサッカー、自分なりに言えばポジション・チェンジだろうと見える。
オシムはそれを彼の言葉で「市原の選手にどう説明したのだろう」そして確かなことは、そのサッカーの封じ方は封じ方で、準備しかつ、攻撃は攻撃で準備したと思える、画一的なフラット、プレスをぶっかけて、というようなことはしない。
あたりまえというように推定はできる。
そこがよい。

で、そのないようはなにか?
それはむろん、わからない。

このごろは、何を高校生にテーマとして言っている、あるいは練習でやっているかといえば、もっぱら「フラットくずし」関連である。
テレビを見ていても、意識して、ボールをもっている側ではなく、フラットをしかけている守るほうを見ている。
むろん、フラットの「あげ」「さげ」チームに独自の理屈がありそうだ。
だからゲーム前に、その「あげ」の理由、「さげ」の理由というものを、「わかってしまえば」よいが、(ここがむずかしいところで)現実には、その観察対象のチームを見ていても、対戦しているチームが「うちじゃない」だから、「うちのように攻撃してくれるわけではない」ので、なかなか、理屈を確定できない。
もうひとつは、高校あたりの指導者では「フラットプラスプレス」を採用すれば、「圧倒できる」と考えているんではないかという人が多くて、また事実圧倒的に勝ってしまえば、これまたそのゲームからなにを観察できるというものでもない。

最初の段階からして、簡単ではないのだが、仮に、「あげ」かた「さげ」かたを了解できたとしても、普段からうちのチームがなんというか「一般的」なフラット相手に、サッカーをできるかどうかは準備しておかなければならない。

ここで注意深い読者ならば「一般的なフラット相手に」と、相川書いて、「一般的なフラットプラスプレス」とは書いてない、ことに神経を働かせるであろう。むろんここは意図的に「一般的なフラット相手に」と書いている。

プレスのやりかたも、相手がきめてくることであって、いろいろな特色もあろう、が、どちらにせよ、プレスのかわしかた=はずしかたについては、シーズンの始まるころから、手をつけてきた。混乱するので、今回は「プレスのはずしかた」は言及しない。
結果相手のプレスが「どうした」というように、こちらのだれかが「前をむいてさー、攻撃のパス」だという一瞬になっても、まだフラットは崩れてはいない、というところから本日の話しが始まっているわけだが、そこをいかに整理して選手に「教えるか」そこらへんを考えていて、このごろコーチング日記発行(?)の頻度がおちたわけである。

ここも何度もくりかえして書くが、
1)2トップ、ユニット・ムーヴ、第1タイミング、第2タイミング
1) ハーフ(のひとりが)2トップのつくりだす相手ラインの混乱を利してのスペースへのダイブ、ラインの中へ、第3タイミング
2) ラインの外へ、第3タイミング
3) トップがふりむいてドリブルアップの際に、もうひとりのトップはいかに動くべきか、非常識なオーバーラップとメーク・スペース
今の所、相川の頭脳ではこのぐらいのことをしぼりだしてきた。

どのようなランニングのしかたをするかということよりも、どのタイミングで「どのようなランをするか」そこを練習で強調というか、実際に対敵でダミーバックがいようがいまいが、厳しくタイミング管理をしだした、ということである。
というのは、何度も言うが「あげ」「さげ」する理屈「他人のことだから」わからない、わからないがひとつだけわかっていること、それは「あげようが」「さげようが」相手は3人か4人の呼吸をそろえねばならない、呼吸をそろえる、すなわち「あるタイミング」で「あげるか」「さげるか」をするということは、わかる。

そこで、こちらのトップが最初に(第1タイミングで)動き出したら、そのタイミングにあわせて、あげ、さげ(だいたいは、あげだが)をはかるということはわかる、だからどうしても、第1タイミングと第2タイミングの間隔は短くしかし、そのわずかなタイミングのずれを、利用するしかないだろう、ということを言いたい。
そのためには、2トップのあいだが、必然的に、離れていては、このことをできないとした。

ここがスタートである。
いろいろグラウンドで試行してきて、ここはやさしかった。
というのは、トップにはとにかく自分が信じた第1タイミングの動きをしてくれればよいとして、その動きがラインの裏へ飛び出してしまうものでもよいとした。むろんあまりバカっぽいのも考え物だが。
くふうとしては、もうひとりのトップが、仲間のトップの動きを見ていて、ボールのもらえそうなところに、第2タイミングで動き出せばよい、というだけである。
ここでのポイントは仲間のトップを「見ろ」というだけである。

仮にトップがふりむけたら、パスよりも、ドリブルのほうが効果がありそうだ。というのは、そこで下げてしまえば、結局は相手の「策」が勝つわけで、トップの必須の条件になっていくような気がする。

練習ではだからそこから、強引にいくことを「了承」している、練習だからという理由で。
またせまいところで、トップにつける、ということも了承している、同じく練習だから、である、そのかわりふりむけないハーフにボールを、つけると、コーチからののしられる。
失敗してもよいか場合は、トップの「ポジションチェンジ」を「生かそう」という判断のときだけで、それ以外で、プレスのきつい味方ハーフにつけてしまえば「怒られる」

2トップを使うか?
それともラインの外の第3タイミングへ行くか?ここがレッスン2だろう。
レッスン2ではいわば、ボールは外へ「散らされる」わけだから、いつにもまして、「クロス練習」を附加してやらせた。散らして、そのあとが冴えなければ、またもや「外へけらせた、相手」の策にこちらがはまったことになる。

レッスン3は、やれなくてもよいのだが、どうせサッカーやっているからには、コーチも選手も「おもしろがって、新しいことにとりくむのがよい」として、ラインの中央をぶった切る、第3タイミングもあるじゃないか、という示唆をした。
これがやれるためには「ハーフの目の付け所」をときおこしてやらないとならない。
普通は、ハーフはボールを見て、中盤のスペース(自分が生きるスペースばかりさがす)それが本能だろう。
そうではなく、2トップが別にハーフのことなど、考えることなく、ただただ、自分たちが生きたい、といって、あれだこれだ、とランしているときにあくというより、相手のラインの油断で、ラインの中央が、切れるということもある。そこへハーフがダイブである。

オーバーラップについては、説明できないので省略。ただ仮に、トップでなくてもよいのだが、相手のラインの前でだれかが前をむいて、ドリブルアップというとき、そのドリブラーの「前にいるものは」そのままランすれば、基本的にはオフサイドにかかる、では止まっているのか?そうではないとした。で、どう走るかというそういう戦術である。

ここらへんを実戦でためしに、23日から菅平に行くことになった。
26日には東京バックそこから8月20日のインターハイ予選決勝までは、東京にいる。
8月末は韓国南海でキャンプ、そこでこの短い夏も終わり。まことに少年老い易く、サッカーなりがたしである。
(この項終わり)