北朝鮮戦直前


2005年6月06日(月)

8日のバンコクでの対北朝鮮で、「勝ちますよね」って、一般ピープルそのもののAさんからメールがきたが、それへの返事は、「ここで負けたら、よほどのたたりがあるんだろう」と、ふつーは「そう考える」

だから、サッカーというエリアで考えれば、これで、ドイツ行き「なった」と、今この瞬間にも思って良いわけだろうが、オカルトのエリアに、いくとしたら、次ぎの要素がたちはだかる。

■ スコールによる、スリッピーな、天然芝の上での、北朝鮮、日本ともにコントロールしにくいグラウンドになったら、わからない

■ なかた、おの、しゅんすけ、さんとす、単独チームだと、普通はここまで、選手使えないと、気弱になる

■ だが、思い出せば、あるいは思い出さなければ、ならないのだが、最初の北朝鮮、先取点フリーキック、ゴールのむかって左隅に「おがさわら」対イランは「ふくにし」守備ハーフであるにもかかわらずの「つめ」があって負けたが1点、最初のバーレン戦は相手自殺点、3日の対バーレン戦は、「おがさわら」の、同じくゴールの向かって左隅にシュートと、こうやって「故意に、書けば」このステージでは、あとはここでわざと書きもらしているのだが、「おおぐろ」の北朝鮮戦の、一発、しかしそれも「ふくにし」のラストパスがあってこそなのだが(つまり、おおぐろも立派だがあれはふくにしのゴールだともいえる)、この故意に書かれた内容のなかで登場するのは「おがさわら」であり「ふくにし」である「だけ」だというように、自分なら「考える」

■ わかっていることは、トップはだれもゴールスコアしてないということ、だからだれがトップ先発?2トップ1トップ?そういう論議、不毛だとは言わない、言わないが、今の所は、流れとしては(この流れという、理屈にあわない言葉なのだが)トップがすかっと、2点、3点いれて、快勝というようにはきていない、だからといって、8日に運が、日本のトップにやってきて、大量点に行くと言う事もいえるのが勝負事だとも言える。

■ それからテヘランで、イランはどういう態度で北朝鮮に臨んだか?も興味ある、だれが考えても、負けていない、イラン、タレントいっぱいもっているイラン、うまいし、強いイラン、成績でトップをきっているイラン、2位のジャパンに追いつかれ、逆転をくらうのではないか?という心配をしないイランというように「見える」わけだが、そのイランの、対北朝鮮戦の真剣度がわからない、けれどそれに0-1で負けた、北朝鮮の、「1度戦った、相手の、研究」能力ということが、むろん、バンコクで、日本相手に、どういう試合展開を実行してくるか、になるのか?ということである。

■ そう言う意味ではコーチではないひとにはわかりにくいことだが、3日のバーレンは日本の1トップ、というより中盤にハーフを多くした、日本に「中盤を制圧」されたわけであって、計算違いがあったのではないか?だって普通は、中盤と中盤の比較になると、「日本は」たまのはなれは、はやいが「要は相手をひきつけても、動じないどころか平気な顔で、プレスをかわしながら、パスを交換できる」という意味では、世界で一番へたくそじゃないのというように見えるのだが、この日は相手のロングをはねかえし、セカンドをひろったら、さいご、日本のほうが、中盤で、ボールをおもしろいようにキープしていたわけで、誰がジーコに耳打ちしたのかわからないが、3-6-1が成功したわけである。

■ 北朝鮮もむろん、そのバーレン対日本の、ビデオ見ているから、バーレンの苦悩を理解するか?2トップでくるのか1トップでくるのか?悩むだろう、しかし北朝鮮を悩ました(と、考えるかどうかはわからないが)しゅんすけは「いない」なかた「いない」おの「いない」たかはら「いない」さんとす「いない」「ん?」ということで、逆に「なにを考えるのか?北朝鮮はかえって」むずかしいのではないか、出たとこ勝負にかけるしかないのではないか?だって第1戦の最初のフリーキックはくりかえしだが、あれはサントスの陰謀に、素朴な北朝鮮とレフェリーだまされたわけで、そのあとは、日本は、攻めあぐんだというか互角であったわけである。その第1戦のメンバーから「いない」やつがいっぱいでてきて、だから北朝鮮としては、「今度こそ、こいつをしっかり押さえて」と思える試合になるはずが、そうではないわけだから、いってみればまた初めて闘うようなところがある。

無観客試合がどういう影響あたえるか?その問題は、わたしなんかどうでもいいんじゃないと思える。だって両チーム同じ条件だしね。

無観客試合で良いか悪いかは別に、一番、影響受けるのはレフェリーじゃないのか?

対バーレンの最後のほう、なかたが左サイドからペナにはいっていった場面なんかどう考えてもPKでしょう。

なぜレフェリーは「それを流したのか?」よくわからないシーンであった。

そして、国と国の威信をかけた、ゲームも、そこらの高校生のローカルゲームなみになってしまうのである、すなわちレフェリーの反射神経の問題に帰趨していくというそれ。

あるファウルの起始というのは当然あって、つまりは「仮にユニフォームをひっぱる」ということでいえば「ひっぱり、はじめる一瞬」というわけだが、「そこで、ふえふいてしまうほどの、ファウル」もあれば、起始があって、この場合なら「なかた」はまだ倒れもしないし、ボールをなくしてもいない、途中にかかってくるわけだが、、そのあとに(むろんこの間、たかだか1秒でしょう)コーチから見たら「これ以上どうやってプレイするんだ」というところまで、相手のファウルが続いたという、ことである。

当然そこでレフェリーの反射神経が、閃くしかないので、なぜ閃かなかったの?という素朴な、感想である。

案ずるに、あの場面では、起始はエリアの外、「ユニフォームのひっぱりあい」なんて、マイナーなことだからとでもレフェリー思ったのではないか?ところが、途中というところにさしかっかたら、これはあきらかに守備側が重大な反則を行っているのだが、そこでフエ吹いたら、場所としてはもはやPKしかないので「あらまーとでも思っているうちに=つまり反射神経にブレーキかかって」結果、とんでもないちょんぼを犯したという、しかしおかげで、スンニ派イスラムの信徒を敵にすることだけは、なかったわけである。

バンコクでは、北朝鮮のホームゲームとはいえ、主体思想を信奉する、「ずっとこのステージレフェリーにより、不利益をこうむっていると、思いこんでいる、北朝鮮ピープルからの、脅迫はないわけで、それが」レフェリーにとっては快適になるはずなのだが、大観衆の大音声がないかわりに、実はコーチもレフェリーもひとつひとつの場面に、えらく集中できるはずだ(つまり見咎めが多くなる)ということと、逆に(してはならないことになっている)選手からあるいはベンチからのクレームが、いちいち頭にくるということがでてくるはずである。

たとえばオフサイド、なにを言っているか、わからないだろうが旗あげて、オフサイドだとしている、その背後に、ベンチからの殺人光線をあびることになるのは確かである。

それと、確かに、レフェリーのさきほどの言いかたでいえば、反射神経の鈍さでこのステージ、ずっと、損をしている北朝鮮に「運がむかったら」まずいぜという、どこに尻もちこんだらよいかわからない問題もある。

試合に勝つと、あまり分析することをしないで、バカみたいに、にたにたしてしまうのが悪い癖で、そのかわり負けると、細部に細部に「これが原因か?」「あれが悪かった」かというように頭脳働かせるわけで、そう言う意味では、対バーレン戦なんか「気がぬけた感じ」多分、現場も同じかな?
そこを知らぬジーコでもないだろう。
今ごろは、ひきしめにやっきだろう。
バンコクの6月も暑いけれど、トムヤムクンおいしいよね。
(この項終り)