サッカーのダンディズム

2004年6月06日(日)

きょうもグラウンドは、東久留米市の都立久留米高校。
自分は昔で言うと、三菱(もう誰も知らないだろうが)みたいに少し、コンタクトがファウルっぽいと、「おいっ」ってな声あげるチームが昔から嫌いで、この日の久留米も多少は東京で実績残して、東京の高校生なら、久留米でサッカーやろう、みたいな思いもよくわかるようなチームなのだが、少しあたられるとその「おいっ」ていうのがでてくる、「なんだこいつら」という感じである。

うしろからのファウルはサッカーでは防げないわけだから、まーそうしろとは言わないが「声もでるだろう」ところが横とか、前から、「がーん」ときて、蹴られたら「よけられないおまえが悪い」「あたられるようにボールをもっているおまえが悪い」ましてや「そういう場面で、声なんかあげたら」「どこのお嬢ちゃまかい」と教わってきたほうだから、ベンチのなかで、「いやなチームだね」と感じている。

野球でも昔のコーチはデッドボールくらっても痛そうな顔すんじゃない、と教えているはずで、どういう選手なのか、野球のことは、わからないが清原選手を見ていると、週刊誌の評判、ジャーナリストの勝手な、評価とは別に、デッドボール食らっても、ポーカーフェースで一塁に向かう、立派なもんだ、と思う。

ところが審判がデッドボールかファウルチップか、わからなくて、あるバッターに、ファウルと宣告、コーチがベンチから飛び出してきて、「おい、ありゃ、デッドボールだろう」と抗議したら、そのアンパイアが「だって、バッター痛そうな顔してませんぜ」と。
こういうのが一番困る。

つまり、高校生だって「粋なサッカーしたっていいじゃないか」という思いがある。
ちゃらちゃらしたサッカーではなくてね、なんで俺はサッカーやっているんだって?
それは、男の伊達(だて)だよ、という言葉はつかわなくても、要は、そういう価値観でサッカーやりでもしなけりゃ、このなんでもありの世の中で、サッカーやるやつ、もたないんじゃないの?と、自分など思う。

伊達ストーリーがあるからこそ、フェアプレイだ、こだわりだが、でるので、それがないから、恥ずかしげもなく、プレスの方法をコーチから教わって、「ぼくはサッカーやっています、サッカー極めました」ってな思いになるわけだ。

良いトラップをしたから、だから世間ではなんぼのもんじゃい、の世の中で、「良いトラップ」「良いパス」「敢闘するということ」いくらでもあるが、サッカー的な価値観におのれを没頭させるということ、
にこだわること、それがどうしてか?いや答えはいくらでもある、あってよいが、わたしなんかは、そりゃ、ダンデイズムだよと思うしかない。

こだわることが、かっこういいと信じられなければ、こだわれはしない。

誤解なきよう注釈するが、高校生に伊達と言う言葉もダンデイズムと言う言葉も使いはしない。
言葉にまず信を置くというような世代ではないようなので、そういうことは言わないのである、しかし、もし現役をやめて、相川になにを教わったのか、言葉にするために、本を読み、考えれば、要は、そう言う表現に到達するはずだと、思っている。

で、言っていることと、やらせていること、違ったら、こんないんちきはないが、(往々にして、いんちきのほうが多いが)
久留米高校戦、相手がどうくるかわからないので、試合前はなにも考えなかったが、試合なりの流れを読めるかどうか、だけ意識していた。

キックオフ、プレスでクルかと思ったら、そういうことはなく、こちらのラインのパスは「やらせる」という策ででてきた。
むろん、相手はカウンターねらいなのだが、ライン→ハーフについてもかならずしもねらってはこない。
ただし、こちらも悲しいかな、そういうように、いわばマーク甘い、のに、こちらのハーフが、どんどん攻撃行動を起こせるというわけでもない、(才能なき豚児なので)攻撃はもっぱら、あがっていくサイドバックにロングを出して、ゴールまえ何度もクロスよぎるが、あわない。

だがむこうも攻められない。
前半ロスタイムフリーキックゴールまえにあげられて、予想どおり、こちらのキーパーが自信なくとびだし、直接はいったかぐらいの軌跡で、はいってしまった、0-1。

後半への注意:
ひらきなおって、パスで行け、ハーフ労働量だして、ハーフ同士でパスだとした。後半かわらず、久留米プレスなし。完全にひいてしまって、ますますカウンターにかける感じ。サイドバックのランも見られているので、結局サイドバックはあがれず、支配して、幾度かチャンス作ったが、そこがサッカーのサッカーたるゆえんで、そのまま0-1で終った。

誤算はなにか?

ゆいつ攻撃にアクセントをつけてよい、あがりめのハーフが結局なにもできなかったということであろう。
あとは日本学園は伊達サッカーでいったのだから、しかたがないと赤坂にもどった。

これで総体もせいぜい16どまり、高校生に残されているのは、選手権だけである。

もっともこのキーパーでは勝負かけられない、それははっきりしている。
1年死んだふりか?
どんどん時間が進んで、死んだふりしているとほんとに死んでしまいそうだ。
(この項終り)