栄光ボーイ

2003年5月24日(土)
番外編「そんなバカな」

13期渡辺幸男が、例の創立50周年記念誌をおくってきてくれて、きょう「やっと」それに目をとおした。
気がついたことがあるので、以下に記す。

どの期の筆者も、ほぼ例外なく、「うじゃらけた、愉しいサッカー(非常に表面的な意味で)を否定して、勝負にこだわれと言っているような、気がするのだが、」これって「なーに?」と思った。
「言うは安し、行うは、今の時代も難し」だろう。

この電脳時代なのに、この記念誌を与えられたら、みんな、なにかフロイド的なイドとでもいう思いを、ぶちまけてきている、すると「現役の結果=ご承知のように、今や、相川、息子年代よりも下の、XX期と一緒にグラウンドでサッカーやってる。」ところが、そんなことに限らず、「現役のときの不完全燃焼した、どの期も」実は「サッカーで、トラウマ負っているんではないか?」だから現役の結果に無関係に、魂はレトロに(後退)にむかって、ただ怨念といえばいいすぎか、充たされぬ思いをぶつけることで、2時間はもつのか?そんな印象だ。

相川さん昔、平沼高校もみたことがあって、そのときのOBがメールをくれた、相川さんの、「人たらしにあって」「その気になって、当時最強の横浜東に練習試合で勝ったので、公式もいけるかなと思っていたら、その公式試合の対東戦は雨天でグラウンドたんぼ」結果負けたと、「今でもそのときのOBが集まると、」「ドライグラウンドなら勝ってたね」と話すそうだ、人生、恐るべし。
栄光も同じか?
同じだろう。

現役の強化には、相川責任もつ。
現役の強化、すなわち、「今」にこだわる、おそらくは「ここのところが」OBにはわからないのだろう、わからない「振りをしているのかもしれない」今にこだわったら「昔話はしないぜ」という、意思、それが自分にはあるわけだ。

だが昔話もたしかに「甘い」
現役を強化して、グラウンドにOBたちがきて、その日のゲームに触発されて、「これ以上に」「おれたちのときは、かくかくしかじか」と語ってくれたら、これはけっこう「好い仕事をしたことになるのかな」そんなふうに思う。

写真を見てると髪型、ユニフォーム、多少時代の影響受けてはいるが、要は、どの年代超えても、みんな「おぼっちゃま」と言う言いかた悪ければ「慶応ボーイ」といって「早稲田ボーイ」とはいわない、その慶応のほうに属する、昔も今も、相川その念を強く感じた、ますます、今の相川の路線でやはりいいのだと思う。

実際に人生にでていったら、ほとんどが「できあがったインフラの親方志望だろう」たたきあげ相川個人的には、それは好みではない、だが、「わかる」
栄光ボーイという言いかた「あるのか?」ないわな。
だが50年を、まとめれば「そういうことだろう」栄光ボーイが、その時々の強豪校、強力チームに「ボーイのスタイル」でたちむかった。
そういうように、この記念誌は読める、そして、そこが「凄い」のではないか?
だから、それが伝統をこの先に延ばす、という意味ではないか?
このあいだの横浜西口のMTG、そう言う意味では「半端」だったと反省している、湘南高校あたりの「ボーイではない」野蛮人の、卒業生が推薦した、「呑みや」に集ってしまった。

今度はそういうところも、レベルアップだろうね。

それで、今すぐ「金がほしい」とはいわない。
ただ、「現場、相川」がやっているうちに、パーソナルに(OB会の組織どったら、こうたらではなく)現役をいろいろな意味でサポートしたいな、という組織をつくっておいてね。

これが、お願いである。
例えば、今、厚木ででがけている企画、きょう5月23日、日本テレビのカメラマンが「やってきた」むろん、会社の筋では「なく」ということである。
理由とか、根拠とかに関係なく、「自分はサポートします」というそういう意思表示をする人達の「輪」を次第に広げたい、と言う意味である、むろん「期」を越えてもらいたい。

柴野先生にきかなければいけないが、仮に、現役が故障したら、整形のドクター、「どこへ行くのか?」
仮に、今度、OB有志対、現役がゲームをして、そののちバーベキューパーテーを開くとすれば、どこがケータリングサービス機能という意味で、原価でやってくれるのか?そういうことしないと、だめだと、相川は思っている。むろんOBを使えだ。

例として、こういうことも企画していくのが、今のコーチである。
ということで、よろしく。