この世のものとは思えない:夢

2003年4月30日(月)

朝鮮高校やら流通経済大学付属高校とのゲームのときに、十条で、紫外線をたっぷりあびて、顔はほとんど火傷状態である、7月8月の夏季よりも紫外線の照射量そのものは、5月6月のほうが多いのだとか。
酒の呑みすぎで肝臓がいかれて、顔が、黒くなるとじきに死んでしまうわけで、過去にそういう人に何度もあったことがあるが、そういう雰囲気も照射しているのか?街を行く火ぶくれ顔のおやじにみんなギョッとするようである。
だが、コーチの作業着(=ジャージ姿)のときは、まだ肉体労働者アウトルックだからよいが、たまにスーツを着て、人に会いに行く、ときこれが似合わない。

4月29日(火)所要で、赤坂東急ホテルの最上階、ジパング、というレストランにスーツにタイをしめて行ったが、普段は感じない疲労を感じて、はやばやに戻ってきた。この日、29日は、まず朝、ボランテイアで、見ているあるチームをチェックそのまま厚木に行った。

ちあきなおみの「うたくらべ」という全10巻のCDを手にいれたので、それを1枚ずつ、車に持ち込んで、聴きながら、ドライブである。
ちあきなおみは旦那の鍛冶英二(俳優で、宍戸錠の弟)が死んだとき「もう唄わなくていいから」と言われて、それ以来、希代の歌唱力、情感、を封じこめてしまった。惜しい話しである。

自分はそのちあきが、唄うのをやめて、しばらくしてテイチクから出た2枚ぐみのCDは偶然に手にいれて、それ以来「ひょっとして、美空ひばりよりうまいのではないか」と思うようになった、それでこのテイチク版のCDが売れて、今度はコロンビアが、6枚組みかなにかのCDを発売したのだが、それは昔、ちあきのマネージャーをやっていたという、赤坂の才谷屋というステーキハウスのおやじから、人を介して、もらってきた。

そのコロンビア版にいろいろな人がちあきなおみについて書いているなかで、当時コロンビアというより、日本歌謡界の女王、ひばりが、新年会だかなにかで、「自分(=ひばり)の歌を若手のふたりに唄わせた」とある、その2人というのが、1人は、「都はるみ」で、もう1人は「ちあきなおみ」であった、と天才、よく天才を知れり、という話しだろう。

だから、ちあきの歌についてはだいたいは聴いているはずだが、三宿のそばや、朝日やで、新聞読みながら、蕎麦を食べていたら、この10枚組みのCD発売の告知があって、即、電話で予約をいれていた、そのほとんどがだぶっているのにである、というのは、かねてから、噂では「聴くべし」という曲で、前の2つのシリーズに載っていない、曲があったからだ。

それらを書く、
いわく、朝日の当る家、陽水の「氷の世界」ライブで唄ったという、河島英五の「酒と泪と男と女」裕次郎の「狂った果実」等々

この日は#3のCDをもっていったが、その最後に「悪い夢」というのがあって、これが凄かった。
この世のものとは思えない、唄い方であった。
「この世のものとは思えない」という褒め方が「相川さんのなかでは最上級の」グレードである。
サッカーを、介して、この世のものとは思えない、選手を世の中に送り出したい、それだけが、私の夢である。

ところが現実は、ちあきなおみの、歌のはるかに下をさまよっている。

午前のチームの選手は、正直にいえば運動音痴、そういう高校生も「だがサッカーというものを、やってみたい」わけだ。
それはそれで良い。
この地球という惑星の上で、サッカーというものがあったということの奇跡をいつかその子たちも気がつく。

それから厚木に移って、杉並対ヴァンフォーレ甲府、0―2でフラットプラスプレスに負けた。

ただ今は、杉並勝てないだろうねという感触を持っている、理由はかんたん、トップに人を得ないからだ。それだけのことであって、ただそれだけのことを「埋める」のが大変である。練習と努力で、「シュートを撃つ、その前まではかならず準備できる」という、自負をコーチはもつ、だが、その先では「天の配材を待たなければならない」
(この項終わり)