練習・ゲーム分析

2003年4月11日(金)

日記だけでなく、担当するチームの、練習・ゲーム分析、レポートしている。
そのすべてが、コンピューターどおしで、タイプインしていくわけだが、あたりまえのことだが、「書くことで」整理される、ということがある。

戦術の練習を選手に「課す時に」その戦術に「名前をつけて」いわばタイトルとする、そうすれば、実際のゲームで、コーチから選手にコマンドをだすときに、「その名前を、言えば」選手は、とりあえずは、「コーチから、なにを言われているか、おぼろげながら、わかるのではないか」というようなことを「今ごろ、気がつく始末である」

高いところで、相手のボールをとった後に、こちらの『早くて、手数をかけない』カウンター攻撃がうまくいかない、ということで、必死に考えていたということが、まずある。

どうしてうまくいかない、かはむろん、実際のゲームでは、複数の原因によるので、その複数の原因を、おさえたうえで、どうしたら、「うまくいくようにできるか、ずっと考えていた」

相手のライン→ハーフの、パスに、こちらは猛然とチャレンジする、するとボールが取れる、ここまではうまくいっているわけだ。
そのあとをどう、攻撃させるか、という、そこのところの局面の問題である。

ボールを取れる直前まで、こちらの、トップは相手のラインにプレスをかけているわけで、その行動が終わる、というのはすなわち、相手のラインがとにかく、相手のハーフにボールをつけたときである、
で、言い方としては、そのボールを追う行動が終わって、で、そのあと、どちらかといえば、ぼっとしている「ゆえに」せっかくこちらのハーフがボールを奪って、で「どうすべきか」という局面の、整理がついていなかった、ともいえる。

答えとしては、トップは「壁に、くれば、くるしかないな」というような理屈だと思うが、さりとて、ではトップが壁にはいってくれば、そこへ、よせて、つぶしにくる相手のラインの、圧力が強くて、だいたいは、(かべにはいるトップも)つぶれる。

だからここにロマーリオ「でも」いればよいのだが、それを言うのは、コーチの役割放棄でもあろう。
どんな仕事の「やりかた」も、その、個人の能を高める、という方法論がある。
だから、ここでも、自分のところのトップの、自然の能が、たかければ、成功するわけだし、それがいちばん「きれいな、仕事のやりかたでもあろう」

そうしたいことやまやまだが、他方で、いかに壁にはいる、トップが、足元に受けるボールを次に、生かす、か、その壁パスを「助ける」戦術があり、という、言い方で、ある戦術を練習させた。

その方法はかんたんで、
ハーフがボールをもって、縦に『パスを、出すぞ』というもちかたに「なった」ときに、もし、オーバーラッパー「が」ハーフからの縦パスのコーすを、「最初に」造ったら、トップを見ている、相手ストッパーは「どうするであろう」かが、この練習でのポイントになる。
もし相手ストッパーがある瞬間にランしてくる、こちらの「誰か」に目を奪われて、一瞬、本来は、フル・マークしなければならない、こちらの、トップのマーク距離が「ゆるんだとしたら」こちらのハーフがそのことに、気がつけなければ「ハーフを、やる資格もないだろう」としたのである。

これを練習化するためには、ストッパーはダミーストッパーとした、すなわち、味方の攻撃時の「判断をみがく練習であるから」「故意に、ロングポジションを一瞬、とる(かとらないで、トップに貼りついた、ままかどちらかの0-1演技をしてやる)」ことにした。

ストッパーがトップについてるなら、今週これと別にやってきている「ドリブルから」「たち足のステップ」自然に動かせて、そのそばを通りぬける、オーバーラッパーに、パスである。
またもし、トップが瞬間あいたら、ボールをだすものは、壁使い、味方によっていって、落しのパスを受けることを、ねらう。

どちらのパスもその蹴り方は、ドリブルの足のボールへの、さわりかたの延長であって、ことさらに、ドリブルとパスのあいだに、段落があってはならない、だからパスを意識して、ドリブルのタッチになるのだと、した。

むろん実際のゲームのなかで、ストッパーが「そのように都合よく、行動してくれるわけではない」だが「ある、きわめて短い時間単位のなかで」相手の選手が「まちがった」ことをしてしまう、そしてそれを「見て、利用する」ということだけが、サッカーがより、高級になることだという信念があるので、それを練習デザイン化しただけのことである。

この練習の説明を受けないで見ている人は、ただ、ハーフがドリブル・アップしていくときに、隣をオーバーラッパーが猛然とラン、他方、トップはドリブル・アップのその先で、ボールを受け取ったり、受け取らなかったり、というようにしか「見えない」だろう。
いったいなにをしているのか、という??を抱くだろう。

バレーボールでもバスケットボールでも、パスというのは、すべては、タイミングをどう腑分けして、教えるか、ということだと思っている。

昼は、これを日本学園で、夕方は、同じテーマをFC杉並で、やっていたら、消防団の訓練がはいっていたとかで、(要はダブルブッキング)その途中で、杉並の練習は終わりにした。

2045まで拘束されるところを、1935には、高円寺をでて、もどった。
明日は雨の予報である。
西新宿で夕食をとって、六本木へ行ったが、途中で、『素』がでて、早くに戻った。
(この項終わり)