WCup予選:バーレーン戦 1:0で辛勝

2005年3月30日(水)

男には二つの物語しかない。
ひとつは、穴に落ちてそのまま死んでしまう男の物語、もうひとつは、その穴からはいあがってくる男の物語だと、誰かが言った。

バーレンのサルミーンが蹴ったオウンゴールの話ではなく、ジーコの悲しい顔つきを見ていて、おもったことだ。

まず、対イラン戦の4-4-2から3-5-2に「変えた」ということ。
信念のないひとである。
というのは、守ってくる、バーレンに、はやはり4-4-2のほうがよかったね、という感想を対バーレン戦を見ながら、おもった。

まず「しゅんすけ」である。
こいつは「おかしい」とわたしは思ったし、最後の最後で、しゅんすけが、相手からボールかっさわれて、なかたが激こうして、しゅんすけに口撃、最後は、しゅんすけをつきとばした、場面がテレビに映ったが、いや「ほんとに、そのとおりである」こいつはいったいなに考えているんだって。
同じく決意というか半端なのが
、ジーコである。

しゅんすけを出すそして、しゅんすけのスキルに期待するというように、周りは、はやしたてるが、多分うしろから見ている、なかたからしても「こいつのやりたいサッカーって、」「ただのミニゲームじゃねーの」と映ったはずだ。

どう考えても、しゅんすけが足ふって、一閃、ゲームは決まらなかった、決まりそうな雰囲気さえ醸し出せなかった。

ジーコがそのことを、今この瞬間に「忘れてしまっているとしたら」こいつは阿呆だ。
そう考えたくない。

自分なら、しゅんすけにこの先たよらない。

あるいは、しゅんすけ、に好意的であるとしたら、どう考えても、サントス、かじ、の動き方をより変化のある「ものに」つまりポジションチェンジをもっと、奨励する、サッカーにきりかえなければ、しゅんすけから「定位置」に(ここがポイント)いる、すずき、「定位置に」いるたかはら、そして定位置にいるわけだが「ひらいているだけ」のかじ、サントスに、いくらボールをつけても、それで、定位置「から」足ふったり、頭ふって、ゴールが「はいるか」
いや「はいるわきゃないの」とくに、大一番では。

これを別ないいかたをすれば、ユニットで動かない、日本のトップ、ハーフという言い方になる。
くどいようだが、しゅんすけ→たかはら、しゅんすけ→すずきという、やりかたでは格下の相手をやつけられるが、拮抗する試合では無理だ。

また別な言い方をしたら、「あがりめ」はいつの時代でも、ほしいし「あがりめ」を攻撃のシナリオに置いてサッカーをやるのはただしいとはおもうが、あがりめ、にチームの攻撃のプランをまかせたら、結局、ゴール前で、現れることは、きょうのような、パッサ―、しゅんすけ、レシーバー、だれそれ、というように、それ自体が、固定した、様相を呈する、というようなことは、高校のゲームでさえ、現出することである。

だから「後半」なかたがあがってきたとき、ではしゅんすけはなにしているの?ということになって、やはりパッサ―であろうとしているわけだ。そこがちがうよねということになる。

ジーコ、今夜のうちに、ブラジルにまた休暇でもどってもかまわない。
そして、自殺点でもなんでも勝てばいいわけだし、また、守ってばかりのバーレンが仮に、日本にたまたま攻撃してきたとしても、自殺点というものはうまれない、つまり、まずい攻撃ではあったが、日本は攻撃をし続けたわけだから、だからこそ、自殺点をいわば、ひきだせた、しかし、イランと同じく、クロスあるいは中央へ高いボールいくらいれても、「サッカーやはり点ははいらない」わけである、その事実は、残った。

だからジーコはしゅんすけ、となかた、の併用なんてことを考えないほうがよいし、どうやって、イランに勝つかを帰りのヴァリグのなかで考えるしかないのである。

ところで、バーレン攻撃してきたら、なんだこれっていうほど、怖くはなかった。
どういうのか、1対1でけっこうボールなくす。

つまり自殺点とかどうとかではなく、これに負けたら、ワールドカップには行けないという結論である。
だが、バーレンでの次ぎの試合である。
グラウンド悪いんだって。
暑くもある。
すると、「分け」だろうなである。
勝てば、終り、つまり、日本2位で通過でしょう、しかし、分けでいいわけだろう。分けでも、今の日本6ポイント、バーレン4ポイントのあいだの2ポイント差は多分、うまらない、つまりきょうの、対イランでの敗北で、北朝鮮は完全に、草刈り場になってしまった。
北朝鮮どうやって3位ねらいをやれるのである?
だから、後半戦、イランもバーレンも日本も、北朝鮮には、みんな勝つとは読める、ただし6戦全敗となると、北朝鮮、処刑も待っている、こと自覚しているし、対日本、「だけは」という感覚もあろう、人工芝という条件もあろう。

けれど普通に考えると、
北朝鮮にとりこぼすチームは「ない」
だから、イラン、日本、バーレンこの3者の争いになっていくわけで、バーレンの次ぎの試合がそれこそ、「決戦のとき」である。
バーレン、テヘランで、イランに勝つ要素ない。
だからこのポイント2差を、追いつかれなければ、イランに負けようが、かまわないということになる。
しかもイラン戦はラストゲームである。
イラン戦が、親善試合になる可能性は大きくなった。

念のために、こういう風になってもかまわないということである

イラン対バーレン、すでに1分け、テヘランでも1分けで全く問題ない
バーレン対日本、日本すでに1勝、バーレンで分けOK
日本対イラン、すでにイラン1勝、イラン2勝でもかまわない。
対北朝鮮のポイントを除外してもこのシナリオで、
イラン、8ポイント
日本、4ポイント
バーレン、3ポイントだということになる。
バーレンにしたら、ホームで日本に「勝つ」しか他に道はないだろう、そして、このバーレンと監督のはやいはなしが、ヨーロッパの職業コーチの固定観念にとりつかれていて、柔軟性がない頭では、じゃーバーレンにもどって「どうやってゴールするの」が見えない。
だから、しんちょうにゲームコントロールして、バーレンで、決める、他に道はなさそうだ。
(この項終り)