コーチの目


2006年3月21日(火)

「祖母井(うばがい)氏の見た、オシム監督」

2005年10月09日、北信越新人フェステイバルにおける講演から、オシムの監督論を、千葉ジェフのクラブ・マネージャーが、講演した。

オシム監督のサッカーを語るには、オシム監督がどう生きてきたかを知ってもらわないと理解しにくいので、そのプロファイルを
国籍は、オーストリアだがボスニア・ヘルツエゴビナ、サラエボ生まれ。
1990年イタリアワールドカップで旧ユーゴスラビアを率いて、ベスト8、このときのユーゴのメデイアには「サッカーを語れるひとが少なかった」またこのときのユーゴスラビアは複数民族国家であったので、問題をいろいろ抱えていた。

このような経験をしているので、オシム監督は、今もつまらない質問には答えられない、答えないスタンスをとっている。
例えば、2003年に「茶野が調子悪い」とメデイアがつまらない質問をしたときに、みんなに聞こえないよう小声で「近くにピストルがあったらおまえの頭撃ちぬくぞ」と言ってたり清水戦でメデイアがつまらない質問をしたときには、「石を投げられた気分である」とコメントした。
今、マス・メデイアによって、サッカーというイメージが間違った方向にきているのではないか、オシム監督はそのことを危惧している。

イタリアワールドカップの準々決勝相手はアルゼンチンでスコアは0-0、1人退場していてPK戦このとき監督はベンチにいなかった。「ここまできたら、俺のしごとではない」とロッカールームにいた。
なぜ一番大事なのは選手だから。←(この基本的スタンスは)ユーゴスラビアが多民族国家であり、チームにいろいろな民族が集まっていた、1992年のヨーロッパ選手権には、民族戦争というか国内内戦で制裁をうけて、出場できず、代替出場の、デンマークが優勝した。オシムは民族間の問題をチームには持ち込まないよう、常に配慮をした。そういうわけで「この一番大事なのは選手だ」という哲学が、あるのだろうか?

ボスニア戦争が始まり、奥さんと息子(アマル)と約3年間離れ離れになりアマチュア無線で連絡をとっていた。そのときにオシムはギリシャで監督、オーストリアで監督をしていた、内戦が戦争になりあるとき、家族がばらばらになってしまった、この3年間オシム監督は、トレーニング・メニューがどうとか、練習するとかいう以前に指導者として「その指導者」が今までの人生を「どう、生きたか?どうとらえてきたか?どうとらえているのか?」そう言う事に向き合ってきた、そういうことを大切にしてほしい。

オシム監督のDVDを作った、12月に出版予定、監督に「ビデオなんかとってどうするのか?」「みんなの参考にならない」と怒られた。そして「俺は関知しないから好きなようにやれ」と言われて、ビデオを作製した。

祖母井自身はどうしてもオシム監督を資料として残したかったので無理して作った。

そもそもオシム監督を、ジェフに呼ぶために2002年12月1ヶ月毎日30分、電話した。
2003年1月16日に直接あいにいって、返事をもらった。このとき、ジェフ以外のJのチームの監督は全員が決まっていた。実際オシム監督が合宿の宿のドアをあけるまで胸がしまる思いであった。不思議な事に、オシム監督に初めてであったのは1990年1月17日であった。

監督の部屋は2階にある。
前日MTGで、次ぎの日の練習を決めていた。ところが「監督はこない」
当日の練習前のMTGでも監督はこなかった。
クラブハウスから外を見たら、監督はグラウンドにいた、ほかのコーチはパニックになった、こんな混乱が3ヶ月続いた。

オシム監督は「まず、書くな」と言う。
電話番号は、メモすれば、10件ぐらいは、そのときは覚えている。でも今はわからない、だから「まず理解することが大切」
そしてオシムが言うのは「なんで、きょう、明日のMTGをしなくてはいけないのか?」「明日体調が悪い選手がいるかもしれない」「天候もわからないし、なんかアクシデントがあるかもしれない」
「それでも、初めのプラン通りなんでもやるの?」それはきっとうまくいかない、プランではなくて、まず選手だろう
ドイツでは指導案を「書く」でも当日「選手を」「見て」変えていかないといけない、練習も説明して、理解させてスタート、
選手は全部説明を受けてしまうと考えなくなってしまう。
だから何も言わないで練習を始める
最初は、コーチも選手もわからないでスタートするのでパニックになる。

3ヶ月経過したら、選手は「話しをよく聞いて、考えるようになった」
物事はいろいろなとらえかたがある。ビブスを7色用意した、選手はパニックになった「選手が、どのような役目をもっているか、」「自分で判断する」これがなくなってきている。

シーズン前登録選手32名、監督に今シーズン全員必要だからなと言われた、優勝争いのとき30名を使った。
Aチーム・Bチーム・Cチームと普通は分けるが、それは人間を分けてしまう恐れがある、だからトップ・サテライトと区別しないでひとりのプロ選手として32名を扱った。
また2003年で監督は選手を知らない、練習のグルーピングはA・B・Cの日替わりのグループを作った。
これは3年たっても.今もいっしょ(試合2日前には試合にでそうなメンバーでグルーピングすることもある)こういう細かいところまで監督は、気配りしていてすごく配慮している。

サッカーになると、日本人は「配慮」がなくなってしまう」

生き方では日本人は「他人への配慮が民族の特徴なのに、サッカーやゲームになると」「右行け」とかいろいろと命令する。
機械的になってはいけない、選手と指導者はひとりひとり違う。
オシムのサッカーでは全員が一緒にトレーニングしているので選手が変わってもやっている、目指しているサッカーに影響が出にくい。

学べ・学べ・学べ
走れ・走れ・走れ

技術・戦術・体力、すべて一緒

走れといっても、インテリジェンスがいる、相手がいる、スペースがある、走るときも、創造性がいる(走りのインテリジェンス、動きのインテリジェンス)

オシムがきて、全面を使った6対6、動けなかった、選手が状況を見なかった、感じなかった。オシム監督はすごく走らせるといわれているけど「機械的に走らせることはない」「サッカーのゲームにはそんなことはない」

2003年は、やすみが2―3日、
オシムがくるまでは土曜日ゲーム、日曜日練習、月曜日休みだった、オシムはそれを土曜日ゲーム、日曜日練習、月曜日1800から練習つまり日曜日と月曜日のあいだ24時間あけた、これが休み、シーズン終れば休めるし、プロをやめれば休める

2005年は公式試合、サテライト試合以外、90試合をした。
「なんのプレッシャーもないなかで、そう言うゲームのなかで」「自分が感じないといけない」
毎週水曜日はゲームを2試合、日曜日がJリーグのときは木曜日。

紅白戦は「仲間とやるので」プレイスタイルがわかってしまう。
新しいチームはいろいろな相手とやると、いろいろなタイプと試合できるので経験になる。

1FCケルンのバイスバイラーの4対2、日本では遊び、トレーニングは試合のために練習するのに、日本は違う。
ジェフは違った。アントラーズもこれはジーコの影響。

監督がきて、トレーニング、そしてトレーニング強度を高めるほど、選手は怪我をしたそれはあまりにもトレーニングが試合の雰囲気と違いすぎていた。
ジェフは凡ミスが多かった。
監督は「おまえら電車乗って寝てるなよ、ヨーロッパでは電車の中で寝ていられrない寝ていたら、泥棒に荷物とられてしまう」サッカーもそう。「はっとした瞬間終り勝負が決まってしまう。

2004年茶野日本代表に選ばれて、ポーランド戦ルーマニア戦に出た。
クラブにもどってきてすぐ監督に「あんなミスしたらあかんよ」「はい練習」
水野、水元もワールドユース帰ってきてもすぐ「はい練習」

怪我しました、治りましたでもすぐ使わないではどうするか、
日曜日Jリーグのとき前述したように木曜日練習ゲーム土曜日Jリーグなら水曜日が練習ゲームだがそのゲームで90分間やって「みんなに認められたらはじめて、Jリーグのゲームに使う」「巻がしばらくゲームに出ていなかったのは、このゲームがよくなかったから」

オシムはFWのハースとは7年一緒、しかし選手を絶対にほめない(言葉ではほめないで)目でほめている。
エゴイストは嫌いだからダイジェスト・マガジンではジェフの選手全部の写真をのせてほしいと
ひとりではサッカーはできないのだから。

ちぇ・よんすは練習はよくやるが、わがまま、ジェフではホームゲームで勝つと監督賞を選手にあげるのだがちぇ・よんすがハット・トリックを2試合やってのけたので監督賞をやったら、監督に怒られた。
チョンスより倍、走っている選手がいる、倍守備している選手がいる、それを「評価しないでどうする」

対マドリッド戦で、オシムの希望は25名出したいしかし事前会議で22名になった。
オシムは「そう決めてきたのは、おまえ=祖母井だから、おあめがその22名を決めろ」と言われた3日かけてやっと決めた。

今年はトルコでキャンプ去年は熊本、キャンプ前は2部練習をする、熊本では毎日ゲーム、すこへスカウトが4名を合宿にいれたかった、それを監督に相談したら「俺にはできない」なぜなら、その4名をいれたら、キャンプ前の2部練習をがんばってきたなかから4名はずさないといけない、だからできない、という。

監督は、サかな大好き、料理大好き。
練習後いつもジャージ姿で買物していうr
試合後はいつも必ず食事する

あるシーズンにシーズン中怪我とかで使える選手が19名、DFがいなくなってしまった。そのときのオシムの言い方「シーズンは長い」ちょっと考えろ、「選手がそのシーズンが長いということをキャッチしなければならない」このときは坂本がDFをやって2位になった。
オシムが監督業をやってきたなかで、契約書にサインしたのは、ジェフだけ今までは、会長との信用だけでやってきた。
ジェフでは祖母井が監督の契約書やお金を管理している
オシム「俺はお金のためにやっているわけではない」また「真実は語れない」という、それはオシムが選手をほめれば「契約金があがってしまう」だからかんたんに「話しをすることはできない」
「今、俺が選手のときのこととは逆のことをしている(きっと 走らなかったんだろう)

「今の日本は人の部分がおかしくなっている」
子供がおかしいと言われているが大人がおかしい
指導者に創造性がないと、子供に創造性はでてこない。
監督のイメージを押し付ける事は、ごり押しになってしまう。
監督は選手が「自分で」「出きる事」「出来ないことを」考えられるようにさせる

監督のサッカーは、選手から教えてもらっている。
チャンピオンズ・リーグ、代表のゲームの中から解決策をさがしてくる、それをジェフのトレーニングにもどす。
トレーニングを考えるには「観て、自分で作ることが大切」
監督はビデオは見ない、夜中にリアルタイムでサッカーのゲームを見る(いろいろな瞬間を感じたい)のでいつも寝不足でコンデションは悪い。

日本人は白黒つけたがる。
フリーズ・ストップこれは危険だよ。「子供はとめられたら、楽しいかな」「形にはめていないかな」
サッカーというスポーツはリスクをおかすこと。
プログラム通りにはいかない
そのリスクをおかすことに、責任をもたないといけない。
管理されている。

ライセンスについて。
現場の状況をわかっていない。
ライセンスがすべてではない
ライセンスはスタートだオシムは応用数学、物理学者だ
「俺はライセンスも大事だけど」「プレーする事が凄く大事」←このイメージ
ゲームを観ること、録画を見ない、今その瞬間を見て感じたい。」
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(注)本文は、相川コーチが参考に提供するもので、文責は相川コーチにあります。