コーチの仕事

2003年2月17日(月)

2月16日(日)は、日本学園、チームを二つに分けて、まず野津田と、1000からこれは公式ゲームみたいなものだが、そのあと1400から神奈川の、向上と練習試合というスケジュールであった。

向上とのゲームのほうが有益という判断がある「ので」まず向上にAをふりむけた。

都立野津田も「ロングキック、逆襲を宗旨とする、あたりも強い」だってベンチで先生が「そこはからだを、あてろ」と怒鳴っているチームだから、けっして悪いチームではない。

パスサッカー・フェイントサッカーそういう、看板をかけておけば、中学育ちであれ、ジュニア・ユース育ちであれ、ひとまずは「自分が今やっている、高校サッカー環境は、」「良い環境である」と思いこむのが今の高校生だろう。
事実「どんなチームに(例え練習ゲームであれ)負けると、相川が、吠え狂うかというのは、相手が縦蹴り、あたり、はやいピッチ、それだけをめざしているかのように、あたかも、やってくるチームにこちらが、負けると、ゲーム後、ぎゃん、ぎゃん高校生に吠えておく。」

そのわけは、そういう相手のやるサッカーのスタイルにこちらが、「パスサッカー、フェイントサッカー、パスのつなぎのスピードアップした、サッカー」で負けたら、昔でいえば「美空ひばりが、カラオケで素人に歌い負けた」というようなことだから。

むろん、こちらがひばりのように、「うまいことが、確立された」という意味で言っているのではなく、毎日、歌をうまく唄おう、と努力するひばりが、いきなり酒がはいって、好きなようにただ、よい気持ちで唄っている、素人に負けたら、ひばり、の看板、だれが、信じるか?というそういう意味である。

プロ・コーチという、看板を「かかげる」ということは、だから、必然の帰結は、「パスサッカー・フェイントサッカー」に行くしかないだろう、なぜなら、「毎日,毎日、縦に蹴れ、そこはからだをあてろ」という方法が悪いわけではないが、そうなったときに、「なぜ、コーチが毎日、グラウンドに立たなければいけないのか?」という疑問が、自ら湧くではないか?

どんなサッカーを、選手にさせるか、むろんコーチの自由ではある、しかし、職業として、コーチをやるからには、「準備」の過程で、段階を踏む(次第、次第に、上っていく)のは、あたりまえのことだろうし、また「指揮」の仕事で、いかにするかは別に、「自分の、ゲームの読み」を「選手に伝えられてこそ」指揮ができるわけだから、そのふたつについて、「この方法でよろしいのか?」選手は自分の言うところを「理解しているのか?」というふたつの疑問を常に、「ものさし」として、自己チェックしているわけである。

順序が前後したが、コーチの仕事、グラウンドの上でのことで言えば、ふたつだろう、というのが自分のなかで整理したつもりの、考えかたで、それは、

○ 練習、練習以外の、練習環境を整備することも含めての、「準備」
○ 試合になって、それを勝たせるか?「悲惨な負けかたにさせないか」の「指揮」

そのふたつだといえば、わかりやすい。

このふたつも大きないわば、フォルダーで、例えば、新聞に載っている、与太記事でさえ、もし、自分にとって、何か意味がありそうなら、このふたつのフォルダーのどちらかに、放りこんでおく。

そういう意味ではフォルダーというか、そのフォルダーにのせるタイトル(=インデックス)さえ、しっかりしておけば、自分は、情報の過剰ということに、対処できるのだと、考えている、ふしがある。

昔,昔のその昔、ハンガリーのチャナデーという、高名なコーチがいて、その分厚い教本が「書かれた、サッカー・コーチング」の教本であった時代があった。

同じ頃に、例えば,読売に当時いた、ジャイロ(永大→読売→香港プロ)などが、オフにブラジルに帰国する、妙に人なつこいやつで、あるいは永大で、少しは「ジャパンの株式会社における、社員のふるまい」を教育受けた、からか、帰国する前に、あいさつにくるのである。

そこで「何かおみやげ買ってきましょうか?」と,ジャイロが、いうので、そんなものは「ない」と承知で「あのさ、本やにいって、ブラジルのサッカーをいかにコーチするか、教本を、あったら買ってきて」というと、言下に「そんなものは、ないよ」というわけである。

がまのあぶら売りではないが、ここで、「さーて、おたちあい」ということになるわけだ。

ある情報(サッカーの選手をいかに、教育するか?サッカーのチームをいかに、準備するか?)を、紙にして、伝達していく。

そんなことはだめさ、という見方も正しいだろうし、「その方法をとれる、文明の発達の度合い」の優秀さ、という見方もともに正しいだろう。

ブラジルで「いったいだれが、これが、ブラジル式のサッカー・コーチング読本だ」と
書けるのか?また読むのか?マイオ・ザガロなら書くかもしれない、しかし読むとなったら、それを読んだ指導者に育てられた、子供が、ロナウドなのか?ということになる、
ちがうだろうなというわけだ。

しかし、我が、日本は、識字率も高く、教育への社会そのものの、フォーカス・オンそのものが伝統である。
だからこそ、フランスで、サルトルがはやれば、翻訳された、サルトルがあっというまに、語られる、はなはだしいのは、フランス「らしくないから」日本はだめだということになったりする、そういう「情報が紙により、伝播することが、担保されている社会」である。

ここで、電波媒体による、情報伝播についてはどうなのか?ということを言及すべきなのかもしれない「が」それは、簡単に言えば、情報を送る側が「あまりにも、企業としての売上効率を追求していることで、」逆に「情報を受け取る側が、情報の深みというものに、最初から、疑問をもっている」から今の所、すくなくとも、相川は満足はしない。

テレビで、中西が「なにを言おうと」それは「中西が強いられて、おもしろいことを、言おうとしているだけで」こちらも「それは良いこと聞いた」というようには思えない。

たまたま「武田」について、日刊現代に「指導者として、サッカーの世界へもどりたいというように」書かれていて、そのうえで「今、食っていくためには、テレビで解説をやっている」と「そこで、デレクターから」「声が小さい」とか何度も怒られて、―――というような内容である。

まーたいしたことではない。

食っていくためには、武田の「悶々」などまったくマイナー、なことである。

そのうえで、16日の夜、スポーツウルグスを見ていたら、武田が「エンボマ」と「エジムンド」の比較をさせられて(そういうすじがきになっているわけだ)エジムンドは、「確実ということを、求めるタイプだ」エンボマは「意外性の選手だ」(このわけかたも、どうせ、だれかが、準備した、よくわからん分類だが)そのあと、江川に「で、武田さんは、どういうタイプのフォワードでしたか」とつっこまれて、いかにも固い、したがって、ギャグが「すべって」「自分は、その両方をかねそなえた唯々」と「やってしまった」

むろん好漢(昔相川がまだ世田谷弦巻に住んでいた頃、六本木の、交差点でラモスと武田に出会って、世田谷にタクシーでもどってきたことがある、武田は経堂にいた,今もいるのかわからないが、少し話して、簡単に言えば「口べた」ということである)、武田が本当にその両方をかねそなえた、か「どうか」が問題ではない。

テレビは平気でスポーツのもつ、真剣さを「鼻で笑って、ギャグにしてくるだろう」そういう商売である。

そういう商売のしかた、にのって、生きなければ「ならない」と、武田が思ったのか?それとも、テレビ(というか、堀プロが)武田よ「タレントに、なれ」と言っているからか、どちらにせよ、鍵は「生活程度」ということになる。

グラウンドに立てるなら「ば」3度の飯が2度に、といういいかたは「生活程度」ということを言っているわけだ。
それがさがっても、好きな仕事を、という意味だ。

おそらく、そこで「3度の飯が2度になるのは、いやだし」「ステーキが、豚しょうがやきになるのもいやだし」「六本木のキャバクラが、世田谷の駅前スナックになるのも、いやだ」という思いがあるのだろう、選手ならともかく、OBになったら、そうなれば、その生活程度を確保してくれるのは、テレビでしかないだろう。
指導者になる筋道とは思えないが。

その生活程度を維持していくために、武田のように「ギャグを言うはずが」「思わず、相川、チャンネルをまわしてしまった、ほどに、彼が本来もっている性格が露出してしまった(テレビ的に言えば、寒い)表現」になるのか、中西のように、調子にのって「しゃべりまくってしゃべる」ことになるのか、どちらにせよ生活は当座、うまくいくだろう、しかしそれは、指導者の自習・自学ではないだろう。
むしろその反対作用だけを、かれらの心にもちこむのではないか(それがキャッシュになることが百年も続くかのように思えたりするのではないか)
最後にイタリアに行って、ローマのユース連盟につれていってくれた、イタリア人が、仕事の前に、どこかで時間をつぶそうと、どこか行きたいところが「あるか?」といったので、フェリーニのい映画「甘い生活」ドルチェ・ビタに出た、通りにつれていけといったら、連れていってくれた。
甘い生活、ドルチェ・ビタも魅惑的ではある、けれどチームはどんなときにも、闘う存在でしかない、「から」その「闘い」を引率する、コーチはどうなのだろうか?

ただそういう経過を通かするのも、人生の勉強だろう。
そのままではよいわけではないのだが。
どこで、それに気がつくかであろう。
電波媒体の話しは終わる。

情報は、平たく言えば「氾濫はしている」
知識(情報)を活かして、コーチは行動しなければならない。
だからこそ、情報を「整理」するしかない。
今のところ、自分に、わかる方法はインデックスのもちかたの「くふう」という平明なことでしかないのだが。

野津田のゲームを,見るのを途中できりあげて、横浜インターから東名に乗ろうかと思ったら、間違えて、そのまま下の道を走って、厚木で246にはいった。雨は、はげしくなるが、向上での中止はない。

愛甲石田のそばやで、昼食、新聞を読みながら、食事をするという「悪癖」があるが、中村は来季、パルマに移籍で、,福西がどうだこうだと、これも話しの流れからいけば「情報」ではない「ゴシップ」というやつである、そういえば、ニューすで見た、中村のプレイはひどかった。

イタリアなんかに行かなくても、「ここで」君に「サッカー教えてやるぞ」と言った程度の、プレイであった。

スルーパス命、したがって、ボールを受けるときもおそらく「そのことばかりが頭にはいっているのではないか」ひとつさがってボランチを「やらされているのは」「いやがらせではないか」どちらにせよ、相手に背中をむけてボールをとられて、自分の言う「高いところで(相手にとられて)そのまま速攻をくらった」そのテレビの場面で、自分は中村から奪った選手を見るのではなく、連動して、動く、ボールより前の選手の動きを、目をすがめて観察している」そのときも、いかにもイタリアというかサッカーの本質という「走り」を見て、うなって、一般論でいえば「相手のボランチから、ボールを(高いところで、かっぱらえば)基本的には、相手のラインは「なすべきことはない」ということを再確認した。

事実、中村はボールを奪われて、守備はできず、奪った相手はゴール前に突進、他の「前にいる選手は」その気はないだろうが、結果おとりのように動いて、ライン(レッジーナ)を混乱させ、最後のパスは右にあいたスペースにはいって、うしろからあがってきたどフリーの選手がシュートであった。

だいじょうぶか俊介?
なぜ君は「ボランチにさげられたのか?」ファンタジスタなんぞと、もちあげていた、マスコミよ、どういうようにこれを考えるか?むろん、口をぬぐう程度だろうが、ジャーナリズムはどうでもよいが、自習する、コーチにとっては、良い「ケース・スタデー」である。

いま、かれはエッジ(端っこ、絶壁)に立っているわけだ。

雨、泥田のなか向上とのゲームは1-1で終わった。

帰り、246をたらたら走っていたら、居眠り運転となった。
睡眠どうこうより、暗いグラウンドで遠くを見て、見にくい、目の疲労からきているのではないかと思える。
それでも無事、東京にもどった。
(この項終わり)