彼岸から、なサッカー模様

2005年2月16日(水)

今週は、日本学園のほうは、もう試験前1週間なので、ランニングトレーニング。

というわけで、2月26日トレーニング(サッカー)再開だから、柴野先生のほうには、今週の栄光スケジュール、全部、受けてということをメールでおくったら、この16日、の地震で目が醒めて、そのまま眠れなくなって、このファイルを開いている。

先週は、連休中の土曜日のトレーニングで、練習後、中学の井本先生から「また、どっかでめしでも食いながらサッカー話ししましょう」というので、笹塚の章子さんに断りの電話いれて、つまり女ではなくてサッカーとって、といったら「おまえ、ほんとかって」サッカー部ではない、ほかの13期が、「いかにもおめーは、偽善者だ」みたいな調子で責めてきそうだが、いや、子連れ(といってももう、成人している、しょうもないフリーターの息子)と同居している、銀座ママの章子さんが、12日(土)はバレンタインのチョコレートのあてながきで、笹塚にいるから、練習終わったら、電話くれって、聞くだけだったらけっこう艶っぽい雰囲気だが、この長岡生まれの新潟人、の女性、頭のめぐりあんまり鋭いほうではないので、いまいち関心がもてない。

銀座ママの、手管としては「相川さんだけがたよりなの」なんて、よく言われるが、むろん話し10%もまじめにきいていないが、新橋の近くの古色蒼然たる、ビルのなかの店で、呑んだりしているときに、時間だけはまだたくさんありそうなのだが、(それゆえ、遊んでいるのだけれど)痛切に思うのは「今の、(自分の)力量で、若いうちから、チーム作りたかった」ということである。

藤沢の駅に近い、とんかつやで、その12日の、懇談も当然「サッカーばっかりの話し」で、しかたがないことだが、当然、相川さんが、ことこまかに、サッカーってなーに、とかサッカーのコーチングってなーに、どうやるのとかいうことに「うんちく傾ける」
そう言えば、18期の高橋正明の逗子の家に呼ばれて、だれが参加したか忘れたが、3―4人の栄光生に、サッカーのセミナーみたいなことやったことがあった。

全然変わらない、舞台の上で、ああでもないこうでもないと「サッカー語っている」というのが自分の人生のパターンみたいで、いやそういう、「つまらないことでも」「生涯それを続けていると」われながら、「これはこれで凄いんじゃないのか」と「たかがボール1個に、自分の時間費やして、」「それってよほどの阿呆か、もしれないし」「そうでもないのかもしれない」

むろん「おまえは阿呆だ」と正直に言ってくれる、同期生も、けっこう早くにあの世にいって、そうかあの頑健そうな、バスケットの大滝が死んだか?

乾(いぬい)は中学でじぶんたちが藤沢のグラウンドで優勝したときに、トランペット吹いてくれたけれど、パリ空港で、動脈瘤破裂で客死、だとか、そういう話しにぶつかるたびに、「ひとは、好きに生きて、それで勝ちだね」とふと思う。

勝っても、いつかくたばるわけだが、逆にひとは、どう生きてもいいわけだと「思っている」大人として、グラウンドに立っているわけだ。

ただしそういうことは選手には伝わらない。
伝えることもない。

わかっていることは、高校生のころ、世界を狭くとらえて、
サッカーっておもしれーな、と思って、そのあと、他にも、なんか、おもしれーことあるんじゃねーかとは思って、ひとなみなこと、けっこうやってきたり経験してきて、で、昔とはちがう、こころの位相「から」やっぱり、サッカーっておもしれーじゃん、と思っている自分が、いる、ということである。

つまりいったん、彼岸に行って、此岸にもどってきたつもり、ということを言いたい。

13日の日曜日は田町で、日本学園の試合したあと、富ヶ谷のシェリーさんの家でまたホームパーテーほかの客はみんな1100ぐらいから呑んでいてできあがったところに、闖入「おまえは遅いとか」文句いわれたが、きょうはチャイナドレス着ましょうっていうのが、テーマらしくて、女性の何名かは、チャイナドレスなのだが、試合をやったあとコーチは「昂ぶる熱を」ビールで冷やしているだけで、とんと感じない。

主人(ホステス)のシェリーさんがもう40を3っつ4っつ過ぎているから、ある意味彼女と親しい、女性たちも、けっこう年くっているので、「おいおい、赤坂中華の香蘭のウエイトレスのチャイナドレスのほうが」「いいよ」「やめてよ」という感じになってしまう。

ふざけているのではなくて、長く生きてはじめて、(比岸にもどったのはいいが、年はとったので)例えば、去年の秋にチームつれて厚木のさきの向上に試合にいったら、それが文化祭招待の試合で、隣のキャンパスには、向上の生徒だけではなくてよその学校の高校生の若い連中が、それ自体は「まずいだろうね」と思える、おでんだホットドッグだを、喜んで、食っているのを、見るわけである。

そういうときに心底感じるのは、「若さゆえの、レベルの低さ」「いくら、おっさんが指摘してやっても」「かれらはきゃっきゃ、きゃっきゃ、うれしくて、うれしくてしかたがないのだろうね」ということである。

それが青春ということだろう。

そこに、すでに涅槃にはいりそうな、自分だけでなく、女性も、勢いすでに失せて、それでチャイナドレスも「なんだかなー」ということを言っているだけだが、栄光も隣の清泉の女生徒がしょっちゅう練習みにくるくらいだったら、選手ははりきるし、コーチもひそかな初恋を体験するのか?


35才での恋も35才で経験したと言う意味で初恋、70才になっても70才で経験したと言う意味で初恋、そんなもんだよ。


富ヶ谷から、下北沢、明大前、笹塚と電車で章子さんのところにそのあと行って、駅前の焼き鳥やで、息子の愚痴聞かされた。

栄光生というのはどちらかといえば、高級な人生(ってなんだか、相川さんにはわからないのだが)送りそうな、やつらで、あんまり「泥のなかで、ごたごたしたところを、はって生きる」というイメージは確かにない。
逆に誰か、実物を見せてくれないかと思うのだが、颯爽として、かっこよく生きているのだろうか?

いやご同慶のいたり、同慶ではないが。

自分なんかは「とんぼとり、きょうはどこまでいったやら」のそのとんぼとりに熱中して、いまだに家にもどらない、みたいな生で、ここまできて、このあいだ、後輩の高山氏が主催するセミナーに関心あって行ったときに、それが医療をテーマとしているので、2度目の会社勤務の時代の部下の女性に声かけたら、彼女もやってきて、で、そのあと呑み会で、当時の上司相川さんがいかに、栄光らしさ(というイメージを別な、横浜出身の女性社員が多分もっていたのでしょう、その勝手にもっていたイメージと)相川さんの、それがあまりにかけはなれているので、がっかりしたという話を、余計なお世話だが披瀝していた
くらいである。


さて、自分自身が、サッカーっておもしろいね、といつも感じて、そのすこしでもいいから高校生に教えてやりたいね、というのが、わたしの、素朴なきもちである。

それなら俺も知っているから、ってOB言いそうだけれど、「それはないでしょ」っていうのが、自分の思い。
みんなあんまりサッカー知らないのよね、うち=栄光のOBって。

東京で帝京のOBたちとも話したりするわけ。

謙虚ですよ。
やっぱり高校レベルでも、日本一めざしたところにいただけのことはあるわけだ。
十条(帝京の学校がある場所)にサッカー文化を育てなかった「から」こぬま先生は「いかん」ってそう言うことも言うわけ。

栄光はその建学精神からして、サッカーの世界で覇をとなえる、というわけにはいかない。

しかしあたかもイングランドの名門スクールのごとく、学優秀にして、なお敢闘の気質尊ぶ、で「あって、どこがいけないの」というのではないか?

どうでもいいよ、相川って、いう、虚無ね、いや自分も彼岸では体験したから、単純な原理主義者ではないのだが、虚無の先には、結局いのちは絶えるわけだ。
栄光サッカー部をもう少し、浮上させるためには、やっぱりOBが
いろいろ「精神を」「もちよってくれないとね」どうせ栄光のサッカーっていう、虚無ではない、しかし、苛烈、過酷な実際の日々を経た、つまり彼岸からでて此岸にもどった、そういう現実感に裏打ちされた、理想ね。ほかにあるかな?
(この項終り)