北朝鮮戦を目前にして

2005年2月04日(金)

水沼と井原が(ともにマリノス組みだが)ラジオで話していて、北朝鮮戦、先発フォワードだれがいいという気楽なはなしで、やはり「たまだ」の頭の弱さ(ばかという意味でなくて、ヘッドということだが)が、彼らのあたまにひっかかっているらしく、もごもごなのだが、結局、高原と鈴木に先発が傾いている。

まー言論は自由だ。

百万人が監督状態は、日韓ワールドカップのときにも出た現象だ。

このあいだも、赤坂のやげん亭でとんかつ食べてたら、隣のサラリーマンが、「昨日の市船は、こうこうこういうところが間違っていた」と話し始めた、素直に言えば、おいおいと思うが、そう思ってはいけないわけで、チームというのだって人間の作品だから監督のとんでもない思いこみが前に出すぎて失敗という作品もあれば、魂こもっている作品もあれば、また「こいつは要は、サッカーわかったふりしているだけだ」と見える作品もある。

そこらへんの機序は、まだまだ衆生には浸透していないとはいえる。

なぜってもし衆生ではない、コーチでもないがサッカーは知っているだろう、水沼だ、井原が「かりに、戯れに、鈴木と高原だ」というのは良いが、ではそのフォワードに「ハーフでだれをあてがうのか?」ぐらいの議論は提起していいのでは、それとも聞き漏らしか?

おそらくシリア、などの2試合で右の「かじ」だっけ左のサントス、両翼から景気良くクロスがあがって、いたのがこのふたりの潜在意識にはいって、外側からの攻撃OKだと感じているのではないか?

で、さらに国際試合の厳しさも無論知っている、ふたりだからこそ「たまだのあし」に賭けることに「おじけをふるっている」んだと思う。

ましてや、マリノスのサッカーをDNAにしているので、結局大一番にくると、あらゆるグラウンドプレイが、封じられる、幻想に襲われるという「やつ」ではないのか?

きびしい一番では、リスタートか、外側からの攻撃、それを頭で押しこむということに、活路を見出す心境におちこんでいくのだが、わからないわけではない。
確率というつまらなさへの恋愛である。

つたない経験で話せば、要は、たまだのスピードで、アシふって勝てるなら、そのほうがすっきりいくだろうという、そういう試合前の、発想もある。

あしふらせるためには、「つながなければならない」

あたまにあわせるためには、要はクロスだ。

クロスの手前では、つなぎだが、クロスに依存す
ると、さーどういうのか、浮き立つというか、緻密さからは少し遠ざかるというか、いや、クロスはヘビー級のボクシングみたいな(といったらボクサーは怒るだろう、ヘビー級のパンチだって、タイミングとか逆とるとか、計算があるが、例えとして)ものだが、つなぎは軽量級のパンチの攻防、そのかみそり1枚ほどの見切りと、うちこみのようなやりとりに似ている。

どっちだってよいではないかと勝てばいいでしょうとひとはいうけれど、トルシェでさえ、初戦のベルギー戦は縦蹴りを指示したはずである。

つまり最初はヘビー級の、まさかりで切りつける、モードを指定したわけである。

それで、どんぱちサッカーになって、「なーんだよ、これは」とわたしなど思ったのだが、事実、あまりにも興奮しすぎたサッカーで先取点とられたわけである。

先取点「いかにもとられそうな、モードで出発した」(覚えているかたは覚えているだろうが、同じ初戦をヒデイング韓国は、ほん・みょんぼだっけ?スイーパーの冷静なつなぎでスタートつまりボールポゼッションに軸足を置いて発進していったわけである)

余談だがそういう意味で、鈴木の同点ゴールというのは、なにものにも増した、1点であったわけだ。

あれがなかったら、そこでトルシェ、興奮して、終っていたのだから。

練習試合の2戦とも、ジーコは自分が知っている、サッカーをつまりはボールポゼッションをベースにしたサッカーのモードをやらせていた、「だから」わたしなんかは、北朝鮮相手の第1戦も「同じようにスタートしていくのだろう」と思っている、そしてその思いの先には、鈴木、高原ではなくて、たまだ、鈴木かな、という思いが、ある。

それからハーフには俊介呼んでいるわけだが、俊介先発だと「誰が出て行かなくてはいけないの?」という話しになるだろう。

在日朝鮮総連の情報は、とてつもない細かさで、北朝鮮にあがっているものと思われる。
朝鮮蹴球団のOBが「しゅんすけ」を怖がるのか、「あんなの、へいきだぜ」と思うかによって、仮に俊介でてきても、つぶされたりするかもしれない。

で、しゅんすけだして、行け行けサッカーモードにしてしまうと、俊介が生きないどころか、ボールがおちつかないから、俊介ドサクサ紛れに、蹴られて、アウトということだってあるわけだ、だからこそ「おちついてスタートし」「やむを得ない場合はともかく、肉弾あいうつ、クロス主体のサッカー」はやらないだろう、と今は思っているのだが、そこでジーコはどうなの?ということになる。


なにしろフットボールであってヘッドボールではないのだが、アシふって勝てるフォワードというのは、なかなかいないし、真にずぬけていないと、相手をつきはなせない。

ではあたまにあてればかならずゴールかといえば、むろんそれもちがうのだが、あたまにあてるほうが、ハーフは悩まなくて済むということを言いたかった。

だからあせって最後にしかけるのはパワープレイだが、このごろは最初の10―15分パワープレイからはいってくるという考え方も優勢である。

押しこめということである、自陣にボールがイルのが好きではないということでもある。

どっちゃでもかまわないのだが、そう言う意味で、9日はどうするのだろうか?
まずそこが、商売人なら、気に係るであろう。

シリア戦、キーパーは川口を2戦連続して使ってきた、ふつーに考えれば、先発川口。

3バックでスタート、みやもとつかうか?まつだか?というだけだろう。
ハーフもなかだを呼ばなかったから、あまり演習問題として、おもしろみはないだろう。

おがさわらがめだったがブラジル人から見たら、どういうように見えるのか?

目ははやいが、多分、がちがちに守られたときの、崩す起点というような意味では印象に傷でもあるのか?わからないが。

高校生のハーフの見本としては「よろしい」

4チームで2チーム以内にはいればよいということが、リラックスしてこのリーグ全体にのぞむというなら、ホームでわけでもOKと思うか、力みかえって、勝つんだとするのかそこがポイントだろう。
ジーコはそこで悩むのか?
悩まないのか?

北朝鮮はサイドからクロスをあげさせてくれる「から」自分なんか、だから、そこへこちらの攻撃を選択するよりは、「相手が(日本)が、こうくるかと思っているところを」[その逆ついて、たまだ先発]で「最低わけてもいいではないか」とグラウンドにおくりだして、そのかわり75分までは、グラウンドプレイを「やれ」として、結果としての良いサッカーを追求、3-0で勝てばいいのではというシナリオ。

しかし勝負だから、であとは無明の世界になる。

パワープレイに傾くと、見たとこ、押しこんでいても、結局枠とらえられないという、試合がサッカーでは多いというのがそう言う考え方をする根拠。

1回戦、3-0にしてしまえば、極端なはなしぴょんやんではわけでも北朝鮮から4ポイントとれば御の字とじぶんなど思う。
で、どっちにしてもイランにはひとつは勝たないといけないわけだから、3ポイント、バーレンから4ポイントでおそらく2位以内だろう

こうやって勝つことではなくて、試合の、のぞみかたが問題だということを、見る興味として提起したわけである。

行け行けで、その結果、わけとか負けではなくて、慎重なボールポゼッションから、たまだの、「あし」ふらせにいって、それでだめなら最後にパワープレイというシナリオなら結果0-0とか0-1でも2戦目以降、修正は効くと自分など思うし、大量得点に道も開ける。

だから負けるというか悪い結果がでるのは、試合が始まってどうしかけるかで、決まるのだろう。

北朝鮮の元代表監督の、ゆんみょんちゃん、がテレビあさひにでてきて、アメリカワールドカップ予選に負けたので、きむ・じょんいるの一声で、その後10年かけて、強化してきたのだと、アメリカ人は車で事故おこしたりすると、「謹慎はしないで」「すぐまた運転始める」その理由は、車のドライブは「運転しなければ、どんどんフイットしなくなるから」というようなことを聞いた、そう言う意味でいえば、きむ・じょんいる氏のいうところは、間違っているとは思える。

10年とんでもないキャンプをして、経験つめるわけでもない。

しかし、信念ある自己流は信念なき、定石に勝る、という勝負の世界の不思議さもある。

ついでにいえば、66年のイングランドワールドカップで、北朝鮮はイタリアを破ったわけだが、当時読んだ本では、北朝鮮はこのワールドカップ本大会にむけて、1年間のキャンプ(軍隊の基地のなかで)行ったとある、エリックバテイであったか?当時のサッカー評論家によれば、イタリアがなぜ負けたかといえば、ヨーロッパの常識でいえば、「そこではあたってこない」「そこでは見切って、ボールはタッチをわったと、足をとめる」そういった場面、ばめんで、北朝鮮(兵士)選手はヨーロッパ人には「なんで?」というそういうプレイの連続で、困惑しているうちに、0-1で負けて、空港でトマト、生卵の洗礼を受けたのだ、と、そんなことを読んだことがある。

で、ポルトガル戦まで行って、当時のポルトガルのベンフイカのエース、オイゼビオに2点か3点ぶちこまれて、それでも接戦はしたが、破れたのである。つまりいかな北朝鮮の体力でも天才オイゼビオ(ユゼビオ)には、およばなかった、という「おち」であった。

よくわかるのだが、こういう成功のパターンは、語り継がれる。

日本の常識では、国際舞台から姿をこの10年間消して「バカだね、経験が不足してるじゃん」と思っているわけだが、はたしていかがか?
おもしろいね。
蛇足だけれど朝鮮総連でのワールドカップインタビューに「サンケイ新聞」は入場禁止くらったそうだ。つまりサンケイ見ていると、総連、あるいは北朝鮮が「むかつくことが」なにかはわかるということだろうか?
(この項終り)