コーチングのテーマ

2003年2月04日(火)赤坂→藤沢

ボランテイアの仕事で、藤沢の体育センターまで来た。

昔、昔のその昔、まだ27―8だったのか、この藤沢体育センターのクレーグラウンドで、神奈川の国体選抜のための仕事をしていて、今は木を植えてしまっていてそこからは見にくいのだが、知っている人は,何も説明しなくてもわかるであろう、グラウンドを見下ろす丘というか、がけの上からゲームを見ると、鳥瞰でよく見えたので、そのときも、そうしていた。

それは春一番が吹いた日であったことを覚えている、
サッカーのコーチになったのはよいが、「食べて行けない」状態であったので、あたりまえだが、不安というものがあって、仕事をしながらも、「この生き方、行き方でよいのか」とたえず屈託やら、逡巡とでもいえるものが、頭のなかで蠢いてはいたのである。

それで、よそから見たら「俺はいったいどう見えるのか?」その場所に座って、何気なく自分の後ろへ目をやった。なにが見えたか?何も見えなかった。ただ風がふいていたというだけであった。そういうしょうもない、感情の動きがあったことを、記憶していて、その同じ場所に、くれば、やはり、それを思い出す。

ところで、藤沢の体育センターが今のように立派な施設になる前は、今のところにグラウンドがあったのでなく、ローンとクレーの2面のグラウンド、それにグリーンハウスと呼んでいた、建物があって、高校生の自分たちにしてみれば、その昔の体育センターのほうが、聖地、であったわけである。

中学から高校にかけて、準決勝だ決勝だといえば、たいてい、その昔の体育センターにかよってきてゲームをできたわけである。
それで帰りは、聖園の坂を歩いて(善行の駅がまだないころ)藤沢の本町ではなく、藤沢駅までもどるのだが、億劫になって、通る車に手をあげたら、横浜まで乗せてくれた(要はヒッチ・ハイクというやつで)なんてことがあったが、誰かにちくられて、学校から禁止されてしまった。

そうではなく歩いて、藤沢橋のところまできて、空腹であったので、蕎麦やなどにはいると、今協会の理事長の鈴木先生が、蕎麦を食べているところに、はちあわせしたりして、今からすれば、どうということもないのだが、子供の心には、おもしろいことばかりであった。

きょう練習を見てやったのは、まったく弱いチームで、かつ最初の練習日である。
それでも自分の姿勢(伝わるか、どうかといえば、わからないが)は貫く、最初のあいさつで「相川です、一緒にサッカーを勉強しましょう」と、まったくのところ、どこへ行こうが、コーチも勉強だ、選手のほうも「さー、相川から、教わる、なんていっていたら」バカまるだしだろう、コーチは教えるのではなく、コーチ自ら,勉強していくということだろうし、選手は教わるのではなく、「自らがサッカーを作って行く」ということだろう、サッカーがそういうスポーツだからである。

そのチームからも練習をそこの指導者がやったら、レポートをメールでもらうようになっている、いわくきょうは、3対1をやりました、シュートをやりました等々、そうではないだろうと指導している、そうではなく、ニュアンスはおいておいて、どんなテーマをその日やったか?やった結果はどうであったか?次は、どこへ行けそうか?そういうことが大事ではないだろうか、というはなしである。

するとテーマを教えろと言ってきそうだ、それもちがうだろうと。
自分が教えたいサッカーを「口から泡を飛ばして、何時間説明しても、ひとがわからなければそれまでだ」サッカーでもラグビーでも完成像はいわば、数百のピースを、根気良くはめこむモザイクであろう、では、ひとつひとつのピースがいってみればテーマだと、だから、ベーシックなスキルとして、インサイドキック「というものがテーマ」ということもあれば、足首こねてのなんだか名前のつけようもない、トリッキーなキックが「テーマ」ということもあって、何をテーマにしても、それは、コーチにまかされている。

なぜ、テーマというかといえば、そういったほうが、選手が「わかりやすく」練習できるからだ。
あれも、これも要求されるのではなく、これだけ、追い求めなさい、ということを言っているにすぎない。

2003年2月05日(水)

2月02日(日)に日本学園対創価高校とのゲームで、日本学園にその試合以前に追及していた、攻撃のテーマが「うまく、いった」という報告をした、そのテーマというのは、わかりにくいだろうが、「相手のラインに対して、スルーパスを意識せず、(スルーパスをだしたから、俺は良い選手だ、といったらレッジーナの中村程度の、お馬鹿な選手ということになる)スポーツは、結果だ、だからスルーパスをねらって、とられても、やはりそれはボール・ロストだとしてある。ボールロストせずに、言い方としては、おとりのパスつなぎというようなことかもしれないが、そのかわり、パスしたらその選手は、あがっていって(=ゴーして)どうせ、おとりさと、相手のラインに思わせない、作業はしたうえで、突如、驚きのサイド・チェンジをする、という考え方である。

それは驚くほどうまくいったが、その「驚き」のチェンジサイドがうまくいっても、そのボールのいきつく先の選手にプロのような決然とした、プレイが「ない」と、感じたので、5日は、テーマを変えようと、月曜日ぐらいから、考えていた。
それはまた、先述したテーマばかりで2-3週間やりすぎてきたので、めさきをかえるということもある。
5日は、そのことを説明したうえで、チェンジサイドは「なった」と想定、ロングで相手守備の密度が薄い、ところにボールがきたら、シュートでいいではないか、シュートか強いクロスでいけ、という話しをして、アップは5対2、ただしきょうは、真中のバックのあいだを、ドリブルでぬいたら、バックの負けということにした。

ぬける、ときはぬけるものである。
そうやって少しドリブルに意識を「こさせて」
次に、4ゴール、半面で6対6をやらせた、
しかしどんなに練習をデザインしても、コーチがどなりまくらないと、この日、用意した、ねらってほしい、テーマを選手は追及しない、この日の4ゴールマッチでのテーマは、さきほどのべたチェンジサイド→シュートである。

○パスにこだわっている「やつ」を脅かし
○シュートをうちそうな奴の「前のスペースにはいってくる味方」をどなり飛ばし、あえてもっと良いポジションにいる味方がいても、それに渡さないでシュートを打つ選手を「よし」とし
○「ゴールから10メーターはずれようが、力なくキーパーに片手で、扱われようが、シュートの失敗は一切、詰らず」
○ 「うまくなるためには、どんどん恥をかけ」ともちかけ
○ 家へもどって、反省するのでなく、このグラウンドで学習しろと、いうようなことをいうわけである。