北朝鮮戦への憶測

2005年1月25日(火)

恋愛日記のほうにおりにつけ、書いていたのは、拉致問題をめぐって「さーどうするの?」とでもいうようなことであった。
事態が進んで、
未確認情報だが
朝鮮中央日報などは「帝京大でDNAミトコンドリア精査で、この遺骨は偽者である」というこちらの判定を「偽者」であると「多分そう言う返球だろうね」ということを言ってきた、どんなにか、きむ・じょんいる、おかしいということであろうとも、1度「なかったはずの、拉致ということを」「初回の小泉訪朝で、あやまった」わけで、「国家的面子」としてももういちど、「送った骨は、いんちきであった」「すまん」とは認めるわけもない。
と、ここから世界政治だ、再軍備だというところに行くのは、コーチング日記の本意ではないので、やめるが、今度の北朝鮮対日本の試合、当然政治がらみということが、普段の試合とちがって、でてくる。

そこで、そこらへんを語ると言っても全部推測。

まず本大会はドイツで行う。ここが大事。
イラク戦争などをめぐっても、アメリカ(のユニラテラリズム)とドイツ、フランス、ロシアなどは意見やら、スタンス同一にしていない。
これがアメリカワールドカップにイラクがでるかどうかというようなときであったらFIFAはイラクを負けさせるために、試合をしくんだ(と言うのが定説になっているのだろうが)欧州は、北朝鮮をどう見ているのだろうか?そこが大事だ。

北朝鮮がドイツに現れたら、まずいとFIFAが思えば、「調整」がはいる。
だがいつどこで?それはわからない、というのは欧州はイランがアメリカにとって、目の上のたんこぶであるということも知っているからである。

ただ06年まではイラン問題は顕在化しないであろう。
またドイツ資本はそもそもがホメイニ革命でイランがイスラム原理主義化といっても、例の、シーア派のほうだが、それより以前からしっかり市場にくいこんでいて、アメリカの思うようには、イランを解釈しないところがあるから、イランを本大会にこさせることに反対はない。

だから北朝鮮を欧州的、ドイツ的、FIFA的視点から見て、問題はなにがあるだろうか(ここの時点で核保有しているといいきっているが、その程度では、北朝鮮を排除はしないだろう)かれらからしたら「拉致=abduction」は、日本が、そのテーマを国際的に訴求していないので、わかりにくいと思える。

そこまで、正しいかどうか、言いたい事は、この時点ではFIFAの介入少し考えにくいというそういう自分なりの結論である。
北朝鮮とアメリカ(というか連合軍は)いぜんとして交戦中というステータスであるわけで、FIFAはそういうことだからといっては、戦争している国に出場を見なおせなどとはいってこない、戦争のあいだに大量虐殺があったからといって、その国を見限ったりはしないだから拉致程度では動くまい。

そうなるとあと残された要素は「日本国政府」「北朝鮮政府」「在日総連」とこの3点である。
日本国政府はなにか手をうてるだろうか?
うつ必要があるだろうか?
最初の試合ということがこれがまた絶妙ではないか?
というのは、イランが仮に、代表絶望などになって、ぴょんやんで、日本対北朝鮮の試合「分ければ」日本も北朝鮮も「行ける」なんて状況になったら、「小泉、どうする?」というそういう設問である。
よかったね、「そうでなくて」
北朝鮮政府はどうであろうか?

埼玉での試合、リアルタイムで北朝鮮の人々は知ることができるのか?
0-3とか0-5になったら、まずいから、かならずカットはするのだと思える。
いっぽう0-0でも0-1でもになったら、これは即、「日帝とか日本侵略主義者」のてさきは、天罰受けたとかいいだして、そのときの日本のプレッシャーは地獄のようなものになるし、「またその可能性なきにしもあらずである」
まさか北朝鮮には「負けないだろう」と思う人々が多い。
わたしも負けないだろうとも思う、しかし気にかかるのは、これが第1戦であるということ、そしてぴょんやんでやるということ、その2点である。

どんなレベルでも第1戦というものはその大会にフイットしているかいなかでいうと、むろんフイットしていないと、どんなコーチだって考えるのである。
練習でフイットと言うのとゲームフイットというのは違うのであるということを、良く知っているのである。

それは高校生だってプロだって同じである。
北朝鮮も同じだから、彼らは「引き分けでも満足しない精神かもしれないが」「埼玉で分けたら」自分が北朝鮮の監督なら、決してくちにはしないが「これで、情勢6-4」と思う。
ないしは「0-1」でも望み絶えたりとは、思わない、アウエーで負け、けれど0-1、だったらホームで、2-0で勝てば、OKだと、ただ0-1で負けたら、きむ・じょんいるが、頭にきて、もどってきた北朝鮮チームに蹴りくらわしたりしたら、まずいが。

在日総連はすでに、いろいろ動いていると思える。ボールを海南島にとどけたりね、可愛いもんだが、こわいこともしているかもしれない、「そんなバカな、というのは今や、素朴過ぎているということがわかったわけで」なにを画策しているだろうか?

多分に、「友好ムードを盛り上げる」ていどのことではないかと思える。
[両方ドイツに行けたらいいね]なんてコメントが新聞にでたりしているわけで、ここらへんが、日本人とはちがうね、というところだろう。

在日朝鮮蹴球団と言うのはある世代にとって、強烈ないんしょうをあたえたチームであって、そういう意味では、サッカーのことにだけこだわれば、わたしもおおいに尊敬をする側にはある、ただここでも政治が影を落とすから、抽象的なことではなくて、もうひとつかれらと、コミュニケートするということのむずかしさを、自身経験しているのである。

拉致があきらかになる何年もまえから「学習組(そ)」のこわさなんていうのをほかならぬ、在日朝鮮人から聞かされたり、あれは脅しであったか?なんていう場面もあったりしたわけで、けっして自分の思いこみではない。

チームの現在の力量などというものはわからない。
ただどんなチームがでてきても、このところの日本のでかたは「守備」という意味では、同じような方法でのぞむわけである。
高いところで、高いところで、という御題目である。
北朝鮮の攻撃が、日本の守備をやぶるだけのヒントを試合中に感じれんば、日本は危うい、感じなければ、失点はなかろう。
ヨーロッパ的にアウエイであるからひいてとなると、日本もなかなか得点できない可能性あるから、イーブンというあたりまえのこたえが予想できる。
スタジアムから美園であったけ、長い道のりを歩くひとたちの、黙々とした列がめにうかびそうだ。
第二戦は「つぶしてしまって」「第3国でやるのが良いと思う」
(この項終り)