前橋育英における「対戦経験」

2005年1月16日(日)

15日から低気圧が、やってきて、東京も雪になるという、こういう現象、だいたいこの共通試験の季節1度か2度はあるわけだから、しょうもねーな、チェーンもっていないから、23区ない走る場合でも、どこにどういう隘路があって、自分が電柱にぶつかるのはともかく、甲州街道あたりで、隣の車にスピンして、衝突したりしたら、いけないと思って、雪が降ったら、車捨てて、といつも思う。

いつであったか、秋田まで、車で走って、インター降りるまでは雪なし、インター降りたらあっというまに雪になって、車降り坂で、対抗車線、横向きでスピンてなことがあった、その年の天皇はいは、松下電器がはじめてチャンピオンになった年。
そこで死んでいた可能性もあったわけだ。

15日は群馬のホリコシでサッカーやっているカメルーン人のチュミとそのエージェントというのか友達か?ミスターリーと新宿で話をしていた。

彼ら同士はフランス語で、会話、こちらは英語、そうすると、なめらかに、話し進めて、もわからない、ということになる。グッドかバッドというよりノーグッドという2進法みたいな、会話のほうが通じる。

アルデイレス「同じカメルーン人の、ボマ(=エンボマのこと)とけんかしたから、ノーグッド」だってな感じ。

雨がいつ雪にかわるのかと思いながら、いったん地下鉄で、赤坂にもどって、1700から下高井戸での練習に車で、でかけた。
下高井戸の人工芝、きれいだが、古くて、雨がふると、選手はやたらにスリップして、予定していた戦術理解を深める試合できずに、1時間で終わってしまった。

で、天気予報に注意すると、例の低気圧、土曜日の夜あるいは日曜のあけがたから降雪で、日曜に、せっかくよいマッチメークしてあるのに、それが実行できるかどうか、わからなくなった。
相手は前橋育英、先回はこちらが1-0で勝ったので、復讐戦をしかけてくるだろうと読める、それが良い練習試合になるはずだからである。
だけど試合やれるのかどうか?
というより、関越道を、高崎インターまで、行けるかどうか?そちらのほうが問題。

明けて日曜日、1000から、NHKで政治側からの圧力があったかどうか、で、あべ幹事長がでてきた、サンデープロジェクトを見ながら、用意。
朝日新聞の「はやの」だったか「口舌の徒の醜悪さ」がめだった。

前の島田伸介も無理があったけれど、うじきつよしも、声が浮いている、というか、政治もなにも考えたことないやつだろうから、やたらに、驚いたような声あげているだけで中味はあたりまえだが「なーーんもない」

ところで、吉本、企業だから売上あげなければいけないのはわかるが、伸介、見ても、視聴者、笑えないってこと気がつくかしら。

雨は降っているが、気温は5度6度で、東京は雪ではないが、群馬の高崎はどうであろうか?天気状況、道路情報聞き続けながら、首都高速、外環、それから関越にはいる。

赤城インターから先は、雪でチェーン着装で、かすかに見える赤城だが、高い冬山の凄みを帯びた、雪煙り、山の地肌に、紫の雪ものすごく、こんな日でもゲームをやるのが、サッカーのチームで、ありコーチでもある。

高崎インターで降りた。

試合は、2-8という、大差がついたのだが、試合内容は、濃くて、3-7ではなくて4-6ぐらいか、むこうは8点いれたが、こちらもあと4点ははいっていておかしくない、場面つくっているから、この試合はあきらかに、良い、練習ではあった。
普通は、3点差がつけば、実力差がありすぎるというわけだが、そういうことではなかったと思う。

大量失点は前半0-5で、あいての多分日の丸代表らしいセンターフォワードにことごとくボールキープされて、そいつにいれられるか、そいつが「起点」で、2本目とはいわないが3本目4本目でいれられるというそういう描写になる。

丁度こちらが攻撃でやろうとしていたというか、そういう感覚を覚えてくれといいだしていた時期だが、攻撃と言うのは、相手の最終ラインを動かさないと、「できない」ではそのためには、どういうパスが有効かというような(攻撃の)テーマに移行してきたところを偶然に、相手のトップに迫力あって、こちらの守備が「動いてしまった」ということが、もろに、でてしまったわけである。

こちらの教え方が悪いのか?
今の高校生、表面的なことはくちゃくちゃおしゃべりはするが、なんかほんとうに「考えているのか?」と思えるほどに、本質的なことは、考えつかない。
だからいつも「こんなこと言ってもしかたがないが」「おまえら、前半40分つかって、なーんも思いつかないで、5点くらって」ハーフタイムにコーチにいわれないと「修正できなければ」「サッカー選手になれないじゃない」ということである。

後半は2-3で、相手が、メンバーかえたわけでもないから、前半の大量失点も、要は、「守り方」わからない、わからない、で40分終ってしまう、そういうところがある。
で、ハーフタイムに、ヒントをあたえる、あるいは「こうやれ」と言えば、後半は白熱の試合に「なるからには」まだ可能性はあるのだが、では「前半どうするか?」そういうことをどうしても解決しないと、秋口、またうまく試合を進められないということになる。

フラットでないが、3人のストッパーで横幅70メーターは守れないといううひとがよくいる。
これは何を言いたいのかといえば、相手が、2トップで「ただ単調に、縦のおもにはロングを蹴ってくるとしたら、ボールの幅などはせいぜい、50センチしかないのだから、ボールがおちるところ1人でも守れるわけだ。

ところが、センターフォワードが「おもには足元に受けて」そこが攻撃起点になって、いろいろな迫り方してくると、そのセンターフォワードの最初の、動きをストッパーがどう扱うか?他の相手の動き方に、こちらのハーフも含めて、7名か8名か?どう統一した守備をするかそういうことなのだが、その共通の判断でやらなければ、結局、ある瞬間は、70メーター幅に大きなスペースがあいてしまうわけだから「そのスペース」をかりにつかわれたら、残りのラインも「動くしかなく」動けば「また別なサイドにあるいは極端にいえば中央に、スペースができて」「そこを使われてしまう」ただそれだけのことなのだが、そこを「どうするか?」ハーフタイムにならないと、選手がわからない。

わからないから高校生なのか?
わからないから、2流なのか?
そこがポイント

守備というのは自分の考えでは、「自分のゴールを背に、待ち構えて」初めて、守備になるわけで、対前橋育英の前半戦など仮にこちらのストッパーが相手のフォワードについていく、そうしたら単純な計算では、ゴール背にして、前向きで待ち構えているのは、2人で、かつスペースがあいている、そこに相手が、はいってくるとき、それと競争しながらつまり平行して、もどり走ってくることで、守備していると思いこむところに、高校生のあさはかさがあるのだが、事実はそういうことになって、それをハーフタイムでは、「飛びこめなければ、飛びこまない」ついていけば、飛びこまなくても、スペースはつくられる、ではそのスペース「だれが、どう守るのか」守備ハーフ2人だけでは、そのスペースつぶしをできなければ、ではウイングハーフを動員するしかないのではないかと、そういうことを気がつかせて、後半はおもしろい試合になった。

自分の考えでは、ただボールを動かしても、未熟な高校生ではそのどこかで失敗する可能性が多い、だから、「まわすな」ではなくて、どうしたら相手の最終ラインが動き出すか?動けば、逆をとれる、それがサッカーだろうという話を、先週ぐらいからし始めたやさきに相手に動かれて、こちらが動いて、後手踏んで、ぼろ負けしたということになる。

相手の最終はこちらがどうしたら「動くだろうか?」
1) ラインの裏へのロング
2) ラインのどまんなかに、フォワードがコントロールできるごろのロング
3) ドリブル
4) サイドでの2対1、ただしこれはサイドが動く程度、中央は動かない

などなどであろう。

ただ一番効くのは、2)である。

前橋育英は、さがる、その代表フォワードの足元にボールがいって、それをこちらの粗末なストッパーがとれないものだから(とれなければとれないなりに)どうやって、スペースを埋めていくか、そういうことを「やれない」からちんちんになってしまった。

きょうはだから、そういう優秀なフォワードがいて、それが攻撃起点になる、相手の攻撃をラインもハーフも「どうとめるか」のアイデア前半、つかめなかった、そこをもっと矯正しなければね、という(個人の問題でも、組織の問題でも)
それが考える材料にはなった。
それだけでもよかった。
もっとも、このごろそう言うフォワードめったに「いない」

一方こちらの攻撃はどうかといえば、すこしはフォワードのひとりが、ボールキープができるようになって、苦しいなかから、「そこへ」ごろロングがいけば、2回に1度は、スピードあげてあいてゴールにつなぎながら迫れるようになった。

それで、結果は2点だが他にも、キーパー対こちらのフォワードの、場面を何度もつくれるようになって、そこは「これで行けるね」というそういう事後の評価になる。

はいらないのにいいのかと言われそうだが、くずしかたそのものは、立派なもので偶然ではないから、攻撃は順調にきていると評価するわけだ。

こちらの守備は、人工芝の育英、よくつないでいることになれていて、蹴るだけのチームに比べたら、良い試合相手だが、こういう試合相手ばかりとやっていれば、もう少し対応が変わってくるだろうということで、修正できるものであろう、これも、心配はないのである。

なにが心配かといえば、経験を忘れてしまう、そういうことが心配なのである。
そこはアマチュア。
せっかく試合を経験させているのに、経験が生きない。
経験が生きてきたなと仮に感じられれば、「ある閾値をこえたな」と思えるというわけである。

個別な事情からいえば、他にもいろいろな問題、特に失望がいろいろでるのだが、それらはおもにはミスパスの問題で、選手はこれを克服しない限りはどこへもいけない(ということに気がつく頃には、選手終っているのである)

テレビで大学選手権の決勝を見ていたが、駒沢このラインでいいのかしら、というより、相手まがりなりにも大学生なのに、駒沢の極端にひとつのサイドによるフラットのやぶりかた、工夫していないように見えた。
(この項終り)