2003年仕事納め、そして新年

2004年1月02日(金)

明けましておめでとうございます。
年が明けたら、なんかいいことあるのかしら、といまさらながらに、ちょっと「すねてものを考えるのと」年があけようがなんだろうが、「継続だけが、人間」だと思うことのあいだに、ずいぶんと、差がある。

前にもあげたが、「生きかわり、死にかわりして、うつ田かな」という俳句が、またサッカー・コーチのもつべき信条を表すわけだ。

正直いいかげん、高校サッカーにはあきあきしている。
だが、「そこに」サッカーを求める、若い世代が「いる」という現実から目をそらすことはできない。
私生活のほうでは、死ねば死にきり、あとは、野となれ山となれ、だが、サッカーは誰が死のうが、くたばろうが、この先も続いていく、癪な話だが、野球を好むひとたちは、野球をたたえ、サッカーを見下す、だからこそ、サッカーをもりたてる、というのではなければならないのは、いつものことだ。

年の暮れから、いろいろなことがありすぎて、日記に反映できなかった。

それらのうちのいくばくかは、企画として、2004年に継続して、ひきつがれていく。おいおい明かすこともできるだろうが、進行中のことで、機密事項が多い。
少しわき道にそれるが、携帯が、発達したこと、コンピューターが発達したこと、この二つの発達で、それがなんであれ「仕事」を進めて行く、方法は画期的に変化したはずである。

ところが、この新テクを、使いこなせない(ということを笑っているのではなく、現実に、「相川、おれのところにパソコンでメール送ってきても、よまないからな、なんて、同級生もいる」)ひとたちと、使い倒そうってな、自分みたいなやつとが、混在しているというのが「今」である。

仕事、この場合おもには対面で、あって、どうだこうだ、ということは、新テク以前から、あったわけだ。まずアポをとる、アポとるたって、秘書がでてきて、ああだこうだ、という場合もあれば、直接に大将に電話つながって、という場合もある。
いちばんいやな手合い、というのは「そんな程度の話しで、俺に会いにきたのかって」大物ぶるやつね。
確かに、あいまいな話しをもっていったり、自分で整理もできていない話しを、もっていくわけにはいかない、しかし、こちらが、相手をわからない、相手もこちらをわからない、だから、かっちりした企画をまだ話すケースではない、と、そういうレベルというか、状況がいくらでもあろうか?そういうとき、どうするの?「あんたみたいに、情報をこれは有益、これは時間の無駄と」いう2つのモードを表すことができない、で「寄らばぶった切る」ってな態度のひとには、情報もっていけないでしょう。

で、そういう人も含めて、電話のひとつ、手前にメールというのは、いいね、と自分などは思う。くいつくひとはくいつく。
それから、どこにいてもとにかく連絡はつく「から」携帯であって、電車のなかでは禁止だとか、自分のいくパブリックのジムでも携帯禁止とあるが、あれが笑止である。

ペース・メーカーかかえているひとにしたら、いのちの問題ということになっているが、だから電車のなか、特に優先席で切れとある、だがそこで、ほんとうに切っているか?だったら解決はどんなに非経済的であれ、電車の編成のどこかに、電磁波、シールドつきのコーナーをもうけるしかない、わけだ。
どんなに満員でも、そこにはペース・メーカーかかえている、ひとしか、はいれないコーナーをである。
でも、ペース・メーカー埋め込んでいるかどうか、外から見てもわからない。
満員の電車のなかで涼しい顔で、にせものが、その電磁波シールド席に座る、こともあるだろう。
役所にまかせると、ここで、細かな、コードがでてきて、すべてが、複雑になるし、また議論というものが、瑣末になるわけだ。
瑣末になることをもってして、おのれの、対応は現実的だという錯覚を、もってしまうこと、それがこの時代の特色である。

ジムで汗流していても、急な呼び出しに対応したいと思えば、待ちうけにはしておきたい。
ひとが腹筋やってるそばで、めったやたらに、こちらからかけまくる、ならそれはいやだが、むこうからかかってきて、その電話次第では、次の行動が変わって行く、だからこそ「今」にいきるひとなのだ。

昔の商売で嘘みたいだが本当の話し。

愛育院というのは、広尾にある名門の産科の病院で、そこの先生のひとりが、よそのメーカーからは「コンピューターおたく」とかげぐちたたかれるほど、要は、機械に興味があったドクターである。

当然、自分が扱っている製品には、がぜん興味をもっていただいて、セールスに「行く」のではなく、「セールス」をこさせるわけだ。
よその会社の売りこみは「放っておけ」っていうやつ。

むずかしく言わなければ、産まれたばかりの赤ちゃんのなかに、心臓の電位、=心電図をとったほうがよいというケースがある、とする。

その心電図をとる機械はコンピューター仕様にはなっているものの、その情報は、紙ででてくるものばかりな時代に、自分のところの製品はそれを、電波でとばして、先生の自宅の端末に、リアルタイムでとどけます、というやつであった。

看護婦さんに「今はどうしていますか?」ときくと、なにか異常がその赤ちゃんの心電図に見られたとする、そしたら、ファックスで先生の自宅に流すのだそうだ、それが、既成のテクであり、またそのテクを利用した、プロセジュア(だんどり)であった、「よかったですね」看護婦さんの作業ひとつ、「なくなります」「わが社の製品導入いただければ」というのが、こちらのセールス・トーク。

看護婦さんが、にやにやしながら「あんた、これウチでは、買わないよ」「えっつどうしてですか?」「だってXXXX先生ね、これ買ったら、夜中の3時に、飛び起きなければならない、からいやだって」つまりXXXX先生も、本ねは、人間くさい。

今までは、看護婦さんが「これをファックスでおくったものかどうか、判断を強いられていたわけだ」「あんまりたいしたことのないものを、それこそ夜中の3時に送れば」「ドクターから、なんだ、ばかもの」とされていたであろう、わけである。

新テクが「あっても」こうして「人間のもっている、習性やら、こだわり」によって「新テクのもつ利便性も」「ゆがみ」が生じる、それはやむをえない。

新テクがあっという間に、人間の行動をかえたりはしない。そういうことなのだ。

しかし、サッカー・コーチをやりながらも、その他のビジネスも「できる」という、そういう環境になってきた、というわけだ。これはありがたい。

暮れは、波崎に29日までいた。
ホテルジャーニーロード、へやに持ちこむものは、真っ先にパソコンである、自分の携帯AU、2002年のエンドまではDIGITALでやっていて、2003年でCDMAだか、それがなにを意味するのかわからないが、きりかえたので、それまで、DIGITALに対応していた、携帯用モデムがつかえなくなったのである。
こういうことに文句つけても、みんな肩をすくめるだけだが、とにかく、新方式の携帯のモデムしばらくは、求めなかったので、去年の夏などは、菅平にいても、メールの発着はできなかった。
波崎の手前で、このモデムというか、要は、また携帯から飛ばせる機器を手に入れて、波崎に行く前、赤坂で設定してみた。
パソコンに「不明なデバイスがあります」というところから始めて、この機器を認識させる。OK。
次に、自分のプロバイダー、=JENSとのあいだの、交信手続きを設定、TCP/IP
を設定OK。で、トライアルで、とにかくJENSのサーバーを呼び出して見ると、モデムの音は、でる、「ただいまサーバーを呼び出しています」というメッセージは出る。普通はそこで、つながるのが、なんと「もう1度、暗証番号」をうちこめと「くる」わけだ。

結論、この作業に2日かかりました。
むろん、JENSに電話して、助けをあおぐ。
途中ははぶく。
こういうとき助けてくれる、相手が即答はまずはできない。それもよくわかる。
むこうは「こちらが、どっかで阿呆みたいな、作業しているんじゃないかと」疑うから、TCP設定までさかのぼって、むこうのやりかたをこちらにコピーさせて、発信してみてください、と「する」それでも同じ現象がでる。
で、最後のやつがいちばん偉かったわけだが、その普段はあらわれないメッセージというのは「うちのサーバーが、お客様の、携帯に対して、メッセージ送っているんではないですか?」というわけだ。相川さん「えつ?自分は携帯になにも、しかけはしていないし」といいかけたが、この人のいうこと理解はできた。「がーん」ってなものである。

それまでも、さんざん相手に「今御社のサーバー呼び出しています、携帯のほうのウインドウには「「パケット通信中」というメッセージが流れているから」「呼び出しまではできるように、(相川)設定できた」わけでしょう」と言っていた。

最後に、その相手の人にも「気つ゛き」がきて、「うちはパケットを受けるようにはなっていません」ということであった。
そこで今度はAUに電話したらASYNCにきりかえろ、ということで、そうした、で。あとは、とんとん。

しっているひとには、なんということのないはなしである。

例え表層的なことでも、コンピューター環境、通信環境、原理がわからないと、こうやって混乱する、しかし、わからなくて苦闘すること必ずしも嫌いではない。

波崎で、まず予選みたいなリーグをやった、相手は、弱い。全勝で実践、澁谷幕張、前橋育英のリーグに進む、ここを超えれば、決勝で、勝てば無料で、韓国招待というので、少しは動機がでたが、幕張に3-0その次の実践に、自滅して0-2で負けてしまった。PKをもらって1-2にできるところを、コアの選手が失敗したところで、このシリーズは終わった、と感じた、結果ではなく高校生ひとりひとりの選手「らしさ」こそが求めたいものだからである。そこでいれて1-2を追いかけていくそういうシナリオが欲しいというのがコーチの思いだ。

それでも翌朝、育英に勝てば、決勝に行けるところを、キーパー退場で、10人のまま、ゲーム壊れてしまった。

29日、東京にもどって、30日、厚木に行った。よってくるJリーガーいつも同じだ。それが気に係る。Jリーガー「も」ここにきたら、なんか楽しいね「と思える」には、やはり東京だろう。
クラブというビジネスモデルは良いと思える。
自分が、ふらふら、店だけはかえないで、場を求めるのは、むろんその場がいいのではなく、人々にしか興味がないのだが、それと同じだ。
だが、厚木にいってもしかたがないね、と思う。

これで、2003年は仕事納め。
良いこととか悪いこととかはどうでもよい。
2004年も、やることは同じだ。
(この項終り)